帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

「パンドラの穴」

「パンドラの穴」
ネオ・ウルトラQ』第4話
2013年2月2日放送(第4話)
脚本 いながききよたか
監督 石井岳龍

 

暗黒悪意マーラー
身長 計測不能
体重 計測不能
穴の底にいた黒木の前に現れた謎の存在。全ての悪意、憎悪、無秩序と言った本来の世界に満ちていたものの塊。人間を誑かして堕落させた者達によって封じ込められていたらしい。
今の人間の世界は歪だが地面にある蓋を開けて自身が完全な姿になる事で世界も完全なものになると告げる。自分が完全な姿になれば世界の価値が変わって善悪の境界が無くなり世界が本来の姿に戻るとして、蓋を開ける資格を持つ黒木を様々な手段で追い詰めていく。
名前の由来は釈迦が悟りを啓くのを邪魔しようとした魔神「マーラー」から。

 

物語
南風原の同期だった黒木はある穴の底にいた。そこに潜むマーラーと名乗る存在は黒木に地面にある蓋を開けるよう迫る。

 

感想
マーラーが黒木に開けさせようとした地面にある蓋とは何か?
黒木が脳と心の関係を調べる研究の過程で人体実験と言う倫理に反した行いをしたと説明されているので蓋を開ける事は新たな領域への扉を開けると言う事なのであろう。
医療に限らず様々な発見や発明において世間の常識や倫理と言ったものが壁となる事がある。そこで立ち止まるのか、そこから進むのか。それを一人の研究者を使って描いたのが今回の話だったのかもしれない。

 

マーラーは黒木を蓋を開ける資格を持つ者と言った。それは黒木が世界の価値が変わる程の発見や発明を行える人物と言う事であろう。たとえば臓器移植などは昔はありえない事であったが今は制度も作られて合法となっている。昔と今とでは世界の価値や善悪の境界は変わっているのだ。
だが、現在の臓器移植もどんな事例でも行えるのではなくていくつかの条件を満たさなければいけなくなっている。おそらくマーラーはそう言った常識や倫理による条件付けがある事を歪とし、それらを全てを取っ払って何にも邪魔されずに突き進めていく事こそ世界本来の姿と考えているのだろう。

 

そうするとマーラーを封じ込めた存在、マーラーが言うには人間を誑かして堕落させた存在と言うのは「常識」や「倫理」や「道徳」と言ったものだと考えられる。
マーラーは今の世界を「捏造された価値で欺かれている」と言っている。「常識」や「倫理」や「道徳」と言ったものはその時の社会情勢や権力者や宗教等が自分達に都合の良いものを作って広めた側面がある。マーラーの正体はそう言ったものが生まれる以前から存在する、それこそ人間そのものが持っていたものだと考えられる。おそらくそれは「好奇心」であろう。(こう考えると今回の話の冒頭でニーチェの『善悪の彼岸』の一節が語られているのは象徴的)

 

劇中で話が出ているように今回の蓋の話は「パンドラの箱」を思わせるところがある。
ギリシア神話でパンドラは人類最初の女性とされていて、その夫のエピメテウスは「後で考える者」と言う意味で「後悔する人」となっていて、その兄プロメテウスは「先に考える者」で「先見の明がある人」となっている。
プロメテウスは神々の炎を人間に分け与え、火を手に入れた人間は文明を築く事が出来たとされている。それは人間の暮らしを良くした一方で核兵器と言った人間の命を脅かす火も生み出す事となった。

 

今回は他に「シュレディンガーの猫」の話もある。
箱を閉めている状態では中の猫が生きているか生きていないかの可能性は五分五分で、開けてみた瞬間にその五分五分のうちどちらになっているのかが判明すると言う話。
地面にある蓋を開けて良いのか悪いのか。それは開けてみなければ分からない。

 

黒木が彼女を人体実験に用いてまで行っていた研究とは人間の悪意や憎しみを消し去ると言うものだった。
この話単独で見ると問題無いのだが前回の「宇宙から来たビジネスマン」で屋島教授がわずか数分であっさりと人間から負のエネルギーを吸収する装置を開発している。1話1話がパラレルとは言えこの辺りのシリーズ構成はもっと丁寧にやってほしかった。

 

冒頭のニーチェの『善悪の彼岸』からの一節や彼女が人形になってしまう演出等は『ネクサス』を思い出す。

 

今回の話はマーラーを「好奇心」が具現化したものとして、ある発見か発明に遭遇した一人の研究者の心の中の葛藤を視覚的に描いたものとして見る事が出来るが、最後の最後でマーラーは黒木の心の中のものが具現化したものではなくて都会の片隅で封印されていた実際の悪魔であった事が分かり、世界の価値観を変える程の領域に足を踏み入れるかどうかと言う葛藤を悪魔の姿を借りて自問自答した話ではなくて、封じ込められていた悪魔が解放されたくて人間に駆け引きを挑んでいた話だったと明かされる。
劇中でもマーラーの姿がはっきりしていくに従って怖さが薄れていったが、こういうのはあやふやのままの状態が一番考える余地があって怖さもあるのかもしれない。