ウルトラシリーズで主人公の家族が出てくる話は珍しいが隊長の家族が出てくる話は何度かある。『ティガ』のイルマ隊長や『ダイナ』のヒビキ隊長の話があって隊長の家族はあまり上手くいっていないイメージがあるが今回は『帰マン』の伊吹隊長のように良好な家族関係であった。
怪獣が何体も出て暴れているが一般人(特に子供)の怪獣に対する危機感がイマイチ無いところも平成ウルトラシリーズより第2期ウルトラシリーズに近いかな。
いつもは現場に関わらないハルノ参謀長だが今回は現場への介入と決定がかなり早かった。ひょっとして、ゲント隊長が現場の指揮を執れない状況だと言う事を分かっていたのかな。
ブレーザーがゲント隊長の事情を考慮しない行動が出てきてちょっと不穏。これまでのウルトラマンと違ってブレーザーは意思を言葉にして示していないので何を考えているのか分からないのでこういう展開になると怖いところがある。
ジュンが怪獣を倒す事に疑問を述べる場面はちょっと都合の良さを感じたかな。なんか主人公を曇らせる為に必要な台詞をスタッフが子供に言わせた感じがする。ジュンを今回の話でいきなり出していきなり重要な台詞を言わせるのではなく、もっと前の話から出して彼が怪獣と言う存在をどう思っているのかの描写を積み上げてから今回の話をやっても良かったと思う。(例えば三枝未希は『VSビオランテ』からの積み重ねがあったのでゴジラを倒す事に疑問を抱いていくのは理解できた。『ブレーザー』はこれまで9話もあったので、ちょっとずつでもジュンを出しても良かったと思う)
逆にブレーザーは冒頭の場面でゲント隊長を通して人間の親と子を見ていたので、デマーガにそれと同じものを見たら攻撃を止めてしまうのは納得できる流れであった。
ブレーザーが左手と右手で行動がズレたのはゲント隊長とブレーザーの意思にズレが生じたからであろう。そう言えば左手を動かす右脳は感情的で、右手を動かす左脳は理性的と言う話を聞いた事がある。怪獣の都合は分かるが人間の為に排除しないといけないと理屈で動くゲント隊長が右手で、人間の親子を見た後に怪獣の親子を見たら感情で倒せなくなったブレーザーが左手と言う事かな。
Twitterで今回の話と現実の熊の問題を絡めた意見を見たが「人間が住む市街地に熊が降りてきた」と「人間がわざわざ山奥に入って怪獣の卵を見に行った」とではまた色々と事情が変わるかなと思う。(「市街地に熊が降りてきた」と「山奥に熊を見に行った」とでは事情が大分変わる)
まぁ、ここをツッコんだら、そもそもジュンのようにわざわざ山に入ってまで怪獣の卵を見に行くような人達がいたので卵から孵った怪獣からジュン達野次馬を守る為に防衛軍が即攻撃しなければいけなくなったとか言う話になってしまう。
ここからジュンが怪獣は動物園の動物とは違うと人間と怪獣の境界について考えたり、野次馬が近くまで来る事を許可した防衛軍の責任問題が追及されたりして、人間社会全体が怪獣との付き合い方を探る展開になったら面白いところではあるが、それをするならもっと早い話からしていると思うので、今回は単に「ジュンが直接怪獣を見る事が出来る」かつ「怪獣による人間社会の被害が出ていない」と言うシチュエーションの為に山奥に怪獣の卵を見に行く事になったんじゃないかなと思う。(今回の話で大事なのは人間と怪獣のテリトリーの問題とかではなく「人間も怪獣も「親子」と言うものがある」だと思うので)