「伝説は森の中に」
『ウルトラマンアーク』第2話
2024年7月13日放送(第2話)
脚本 継田淳
監督 辻本貴則
古代怪獣リオド
身長 60m
体重 4万2千t
今から1200年前に黒い泥を吐いて田畑を枯れさせた物の怪「里汚土」。
村人に八十八種の薬草で作った丸薬を飲まされて眠ったところを土に埋められた。
リオドが埋められた土地の上に鎮守の森が作られて封印されていたがマンション建築で森が開発されて眠りから目覚める事となった。
頭部から伸びた二本の管から空気に触れると燃え出す黒い泥を吐き、長い鼻で何でも吸い込み、頭の角から電撃を発する。
古道具屋に保管されてあった丸薬を飲み込んで弱まり、最後はアークエクサスラッシュで作られた穴の中でアークファイナライズを受けて倒された。
ブラックキングの着ぐるみを改造している。
物語
石堂シュウが加わったSKIPの怪獣ホットラインに子供からの通報が入る。
父が働いている工事現場の下に怪獣が埋まっていると言うハヤト少年の訴えをユウマは信じて行動する。
そんなユウマの姿を見て石堂も動き出すのであった。
感想
怪獣についての謎解きがメインとなっている話。
一見するとサブエピソードに思えるが「怪獣を話のメインに据える」「防衛隊とは違うSKIPと言う組織」「ユウマや石堂さんの人物像」「ゲスト中心のドラマ」と言った『アーク』の方向性が分かる大事な話となっている。
ゲストの大田原父子の対立と和解が今回のお話。
生まれた時から怪獣が出現するのが当たり前の世界にいたハヤトがリオドの森の開発を進める父親を止めようとするのは理解できるし、ハヤトの父が怪獣災害で家を失った人の為に森を開発してマンションを建てないといけないと訴えるのも理解できる。
こういうドラマだとどちらか一方(多くの場合は大人の方)が悪人だったり愚か者だったりする事が多いのだが、今回は子供と大人のどちらの言い分も納得できるものになっていた。
個人的な意見だが、子供向けのヒーロー作品を大人向け一般向けにする時にエログロを加えたり難しい言葉を使ったり社会や組織の理不尽さをことさらに強調したりする事があるが、幅広く一般の人にも楽しんでもらう為にはそう言った要素を加えるより今回の大田原父子のドラマのように不自然だったり強引だったりしない皆が納得できるやりとりを丁寧に細かく積み重ねていく方が大事だと思う。
ユウマはハヤトが語る怪獣リオドの話を信じる。
今回の話ではユウマの少年時代についてはまだ語られていないが、後の話を見たら「怪獣の話を周りに信じてもらえない」「自分の思いを絵にする」とハヤトと少年時代のユウマにはいくつかの共通点があった事が分かる。
今回の話は初見では「ユウマは子供向けヒーロー作品の主人公らしい子供の話を信じてくれる大人」だと感じるが、ユウマの過去を知ってから見返すと「ユウマは「親の死」「怪獣の話を周りに信じてもらえない」と言った自分が受けた辛い出来事をハヤトに味わさせないようにしていた」と言う事が分かる。
物の怪の「里汚土」について記されていた書物「今昔星元奇談」はこの世界の「太平風土記」だったりするのかな。
アークは鏡の中からユウマにリオド攻略の鍵を教える。
こういう「主人公の地球人がまだ気付いていないものをウルトラマンが教えてくれる」と言うのは「地球人より進んだ文明と能力を持つウルトラマンが地球人と一心同体になる」と言うウルトラシリーズならではのもので面白い。
遺跡と思われたものは実はリオドの足の裏だった。
今回の話での怪獣と人間の距離の近さは第2期ウルトラシリーズに通じるものがあった。
リオドの鼻に吸い込まれそうになったハヤトを間一髪助けるアーク。
やはりヒーローにはこういう場面が必要!
ニュージェネレーションシリーズのインナースペースは「視聴者から主人公の姿を見る」と言う構図になっていたが今回は「ユウマからの視点」になっていた。
「アークの中からリオドを見る」と言うユウマからの視点の後に「リオドの中からアークを見る」と言う場面があったので、アークの中にユウマがいるようにリオドの中にも誰かがいたと言う伏線なのかなと思ったがそうではなかったようだ。
まさか第2話でアークアイソードが破られるとは思わなかった。
その後に木を使ってリオドをくしゃみさせたりアークエクサスラッシュで地面に穴を開けたりと工夫を凝らした戦法が出てくるのだが、『アーク』はこういう頭を使った応用技が活躍する一方で通常技は活躍の印象がイマイチ薄いところがある。
リオドを再び封印するのではなくてアークファイナライズで爆発させるのは意外だったが、怪獣を処分しないと怪獣被災者の為のマンションが建てられないので仕方が無いところであった。
だが、この人間中心の考え方は後に「満月の応え」で強烈なカウンターが入れられる事になる。
リオドは第2期や第3期の怪獣を思わせるデザインや設定や言動が令和では逆に新鮮に見えたところがあった。