帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『空の大怪獣ラドン』

『空の大怪獣ラドン
1956年12月26日公開
原作 黒沼健
脚本 村田武雄・木村武
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

 

ゴジラシリーズではないが『三大怪獣 地球最大の決戦』からラドンゴジラシリーズにも登場するようになるので本作もレビューします。

 

原作の黒沼健さんは後に『大怪獣バラン』の原作も手掛けている。
本作も『大怪獣バラン』も地方が始まりの舞台となっている。

 

ゴジラ』『ゴジラの逆襲』を手掛けた村田武雄さんは本作が最後の東宝怪獣作品となっている。それと入れ替わりに木村武(馬渕薫)さんは本作を始まりに数多くの東宝怪獣作品を手掛けている。

 

ゴジラアンギラスの活動範囲は「陸」と「海」だったが本作に登場するラドンは「空」となっている。
ゴジラアンギラスは空を飛べないのでゴジラの白熱光の射程距離に入らなければ飛行機に乗れば逃げ切れる可能性が高かったのだが、ラドンは空を高速で自由に飛び回るので人間は怪獣から逃げ切れる安全な場所を完全に失う事となった。

 

本作はカラー作品で色々なものがハッキリと映るようになった。その為かメガヌロンの犠牲者やラドンに撃墜されたパイロットのヘルメット等に赤い血がベットリと見えて生々しくなっていた。

 

序盤は炭鉱の町を舞台にした日本刀を使ったと思われる殺人事件が展開される。
犯人と思われる人物、被害者、そして犯人と思われる人物の家族と被害者の家族、これら全てが一つの小さい共同体に属しているが故の鬱屈とした雰囲気は『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』には無いものであった。

 

メガヌロンはゴジラアンギラスと比べると遙かに小さいので、装備を揃えた人間が大勢で囲めば何とかなりそうな感じがあるのだが、巨大なので遠くからでも接近が分かって避難が出来るゴジラアンギラスと違って小さいメガヌロンは気が付かないうちに接近されて殺されると言うゴジラ達とは違った怖さがあった。

 

ゴジラアンギラスは水爆実験がきっかけで現れたと説明されていたが今回のメガヌロンは「埋もれていた卵が孵化するのに相応しい温度と湿度に恵まれた」「地殻の変動によって自然にメガヌロンの幼虫が発生する状態が生じた」と説明されている。
では、メガヌロンの出現に人間は全く関係していないのかと言ったらそうとも言い切れなくて、映画の冒頭で地球温暖化の話題が出ていて、温暖化の原因が化石燃料の燃焼によって二酸化炭素が排出されたからと考えるとメガヌロンの出現もやはり人間に原因があったとする事が出来る。そう考えるとメガヌロンの犠牲になった炭坑の町は実は自分達がメガヌロンが現れる状況を作り出していたとも言える。
因みにラドンの出現に関しては「原水爆実験が空気や海水を汚したばかりでなく大地にも相当に大きな影響を与えていて、この新しい強烈なエネルギーが2億年も眠り続けていたラドンを今日になって揺り起こしたと考えられる」と説明されている。だが、こちらも「断言は出来ない」と言う注意が入っている等、本作では怪獣が現れる理由を『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』の水爆実験とは変えようとしていたところがある。

 

「超音速の国籍不明機」が現れるが滅茶苦茶に曲がりくねっている飛行機雲によってこれは明らかに飛行機ではない事が判明する。
ここから「ラドン追撃せよ」がかかる流れが最高に格好良い。

 

メガヌロンの殺害行為が最初は炭坑夫の犯行と思われていたようにラドンの破壊行為も最初は空飛ぶ円盤かどこかの国の秘密兵器と思われていた。
本作の中では過去に怪獣は現れていないとなっているようなので、いきなり怪獣の存在が語られるのではなく、最初は人間の仕業だと思われる展開が挟まれている。

 

ゴジラ』『ゴジラの逆襲』は日本が舞台だったが、ラドンゴジラアンギラスより移動速度が速くて移動距離も長い事から本作ではチラッとだが日本の他に中国・フィリピン・沖縄(当時はアメリカの統治下)が登場している。

 

記憶喪失になっていた河村はキヨちゃんが飼っていた文鳥の卵をきっかけにラドンに関する記憶を思い出すが、実はこの時にキヨが河村に見せた文鳥の卵は二個になっていて、クライマックスで二匹目のラドンが登場する伏線になっている。

 

人間と比べたらメガヌロンも十分に巨大で脅威なのだが、そのメガヌロンもラドンの前では小さな餌に過ぎないとして、メガヌロンを使って大怪獣ラドンの脅威を上手く見せていた。

 

ラドン自衛隊の戦いはミニチュア、操演、合成、音楽と全てのレベルが高くて今見ても驚かされる仕上がりとなっている。

 

最初に見た時はラドンが二匹いるとは知らなかったので途中の場面でいきなりラドンが二匹になって「あれ? 二匹目が現れる場面を見逃したかな?」と戸惑った。

 

ゴジラ』の尾形、恵美子、山根博士、芹沢博士や『ゴジラの逆襲』の月岡、小林、秀美のように本作ではメガヌロン編では河村とキヨを中心に物語が展開されていた。だが、オキシジェン・デストロイヤーを開発した芹沢博士や飛行隊だった月岡と違って炭鉱技師の河村がラドンと戦うのは無理があったのか、ラドン編になると南教授、井関記者、自衛隊関係者を中心に物語が展開されるようになった。だが、河村にラドンが卵から孵る場面を目撃させる事で「謎の飛行物体の正体がラドンである事」「ラドンの住処が阿蘇である事」と言ったラドンに関する重要な情報を握る人物にして最後まで重要な位置に置いていたのは上手かった。

 

ラドンを倒す為に阿蘇山の噴火を誘発させる事になる。
メガヌロンが現れた理由である地球温暖化ラドンが現れる理由となった原水爆実験による空気・海水・大地への影響、そしてラドンを倒す事になった阿蘇山の噴火と人間は地球環境をも変えられる力を持っている事が示される。
だが、その結果として人々は高温多湿の夏に苦しみ、放射能の恐怖に怯え、噴火によって避難を余儀なくされると苦しむ事となる。

 

二匹のラドンの関係について劇中では語られていないが、人間側の主人公である河村とキヨが恋人なので、ラドンの方もつがいかなと思う。

 

最後の二匹のラドンが力尽きて息絶える場面は撮影でのアクシデントから生まれたものらしい。
ラストシーンがこの展開だった事で本作の完成度がさらに高くなったと思われるので、こういうところがアナログ特撮の面白さの一つなのかなと感じる。ただ、今回はたまたま上手くいったが、アクシデントの結果が上手くいかなかった事例もいくつかあるので、一概にアナログ特撮がCGより良くて優れているとは自分は考えていない。