帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『大怪獣バラン』

『大怪獣バラン』
1958年10月14日公開
原作 黒沼健
脚本 関沢新一
特技監督 圓谷英二
監督 本多猪四郎

 

元々はアメリカでのテレビ放送を予定していたが様々な事情によって日本で劇場公開される事になったらしい。その為、『空の大怪獣ラドン』『地球防衛軍』がカラー作品だったのに本作はモノクロ作品となっている。

 

オープニングのナレーションで「今や我々人類は宇宙に向かって新しい歴史のページを紐解こうとしている。こうして近い将来、我々の夢であった宇宙旅行も可能になるであろう。しかし、我々は現在何気なく住んでいる地球にも数え切れぬ程の謎が残されている事を忘れてはならない」と語られているように前年に公開された『地球防衛軍』が宇宙をテーマにしたSF作品であったのに対して本作は「日本のチベット」と呼ばれている秘境に眠っていた怪獣の話となっている。

 

自分は岩手県に住んでいるので本作の舞台が「北上川の上流」と知って「岩手県が舞台の怪獣映画だ!!」と盛り上がって視聴を開始したら「東北地方、北上川の上流、「日本のチベット」と呼ばれている場所です」と説明されてビックリした。調べてみると実際に岩手県がそのように言われていた時代があったらしい。凄い時代だ。

 

当初はアメリカでテレビ放送する予定だったからか、映画の前半は「破羅陀巍山神」と言う土着の神を信仰する部落の人々と言ったアメリカには無い東洋の不思議な世界を描いている。

 

バランの岩屋部落襲撃シーンはバランそのものはあまり映さないで「辺りに響く声」「迫ってくる影」「襲いかかる突風」「崖崩れ」と言ったバランの周りの描写を積み重ねる事で「強大な怪物が迫ってきている」を表現していた。

 

映画の前半は「日本のチベット」と呼ばれる北上川上流にある岩屋部落を舞台にしているので大都市である東京や大阪を舞台にした『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』等と比べてスケールが小さいところがあるが、「山に囲まれた村なので逃げ道が限られている」として怪獣に襲われる危機感や恐怖感が増していた。
本作のバランが岩屋部落を襲撃する場面は怪獣と家屋の大きさの関係も丁度良くて自分は昭和の怪獣映画の中でも特に気に入っている場面である。

 

ゴジラ』は「大戸島に伝説が残されている怪物」と言う伝承系の話から「水爆実験の影響で出現した恐竜の変異」と言う空想科学の話に変わっていったが本作も「破羅陀巍山神」と呼ばれる土着の神が「中生代の生物バラノポーダー」と言う恐竜の生き残りへと扱いが変わっていった。

 

「破羅陀巍山神」を信じている岩屋部落にそんなものは信じていない学者が東京からやって来て部落の人々を説得したり、「破羅陀巍山神」に関わる地元の神主が命を落とした後に東京から自衛隊と学者のチームがやって来たり、「破羅陀巍山神」と呼ばれる土着の神が「中生代の生物バラノポーダー」と言う恐竜の生き残りであると分析されたり、オキシジェン・デストロイヤーと言った超兵器や雪崩や噴火と言った自然現象ではなく特殊火薬と言う現在の技術の延長でバランが倒されたりと全体的に「田舎で今も信じられている迷信の闇を都会の科学の光で分解していく」と言う作りになっている。
ただし、バランに関する全てが科学で明かされたわけではなく、中生代の生物が現代まで生き残っていた理由等は最後まで謎のままとされた。

 

バランは「陸・海・空」とあらゆる場所での活動が可能となっていて、特に「海」に関しては伊福部昭さんの音楽をバックに海上自衛隊との戦いがかなりのボリュームで描かれていた。
それに対して「空」はバランが岩屋部落を離れる時に飛び去った場面だけだったのは物足りなかった。出来ればクライマックスの羽田空港でも飛ぶ場面を作ってほしかった。

 

岩陰に隠れるもバランに襲われたり、漁船がバランに転覆させられたり、魚崎が特殊火薬を積んだトラックをバランの目の前まで運転したりと本作は人間と怪獣の距離がかなり縮まる場面があって見ていてハラハラする作りになっていた。

 

「バランが自衛隊の砲弾を跳ね返すのはバランの皮膚が硬いからではなくて、むしろ柔らかいので攻撃を受け付けないのかもしれない」から「それならば特殊火薬を飲み込ませてバランの体の内側から攻撃して倒す」と言ったようにバランの性質をしっかりと分析した上で攻略法を考え出して人間の手で倒すところが未知の存在を科学で明らかにしていく本作らしかった。

 

本作の残念なところは人間ドラマの弱さであろう。
「バランによる最初の犠牲者の妹がヒロイン」「昔からある信仰に疑問を抱いて立ち上がる部落の人々」「人間がバランのテリトリーを侵したら今度はバランに東京を破壊されると言う因果応報」と面白い要素がいくつもあるのに全体的にあっさりと流されていて印象に残らない感じになってしまった。
特にヒロインの由利子は兄が怪獣バランの最初の犠牲者なのにそこに殆ど触れなかったので「兄が死んでいるのにスクープを取る事を第一に考えている記者」となってしまったのは勿体なかった。バランを追いかけるにしても「商売商売」ではなく「兄の敵を討つ」を全うしたものだったら後半のバランとの戦いにおいてドラマのクライマックスを担えて盛り上がりに繋げられたと思う。

 

「怪獣との戦いがメインになると軍と無関係の主人公が活躍する機会が少なくなる」と言う問題は『空の大怪獣ラドン』『地球防衛軍』でもあった。本作では魚崎を常に前線に置く事で最後まで活躍させてはいるが、さすがに自衛隊がいるのに民間人の魚崎が特殊火薬を積んだトラックをバランの前まで運転するのは無理がある展開だったと思う。

 

面白いと思えた要素が結構あった作品なので、人間ドラマやテーマをもう少し掘り下げてくれたらなぁ…と口惜しく感じる作品であった。

 

本作は昭和30年代から40年代にかけて多くの東宝特撮作品を手掛けた関沢新一さんの初めての東宝怪獣作品であった。