帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『宇宙大戦争』

宇宙大戦争
1959年12月26日公開
原作 丘美丈二郎
脚本 関沢新一
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

 

地球防衛軍』に続いて「宇宙から来た侵略者との戦い」をテーマにした作品。
宇宙からの脅威に備えて宇宙ステーションが配備されている等、『地球防衛軍』の続編と思わせる部分がいくつかあるが、一方でミステリアンの侵略が無かったり、『地球防衛軍』と同名の人物が登場するが演じる役者が違っていたりと『地球防衛軍』とは繋がっていないと思われる部分もかなりある。
個人的には『地球防衛軍』の続編にしても支障が無かったと思うのでちゃんと繋げてほしかったかな。繋げないのなら完全に別作品にして登場人物の名前も変えてほしかった。

 

地球防衛軍』は公開当時の日本から物語が始まってミステリアンとの戦いで地球防衛軍が結成されて新技術が導入されていくと言う展開だったが、本作は公開当時より未来を舞台にしていて序盤から熱線砲や宇宙艇スピップ号と言った新技術がバンバン出てくる。

 

個人的には『ウルトラQ』が『ゴジラ』のTV版で、『ウルトラマン』が『Q』に巨大ヒーローを加えた作品なら、『ウルトラセブン』は本作のTV版と言えると思う。

 

「ある物体の温度を急速に降下させると、その物体の重力が減少する事が考えられるのであります」。
「重力の起源は核振動であり、核振動の無い状態、つまり絶対零度では重力は無になります」。
「核振動エネルギーを吸収する冷却線を放射された物体は温度が急降下すると同時に重力は減少し地球自転の遠心力により舞い上がる事になります」。
絶対零度にまで冷やされた物体は無重力状態となる」と言う説はこの頃の特撮作品では度々見られるもので『ウルトラQ』に登場するペギラの反重力現象も同じ理屈だったはず。
今回は「無重力」と言う事で、これまでの作品で見られた怪獣や宇宙人による「踏み潰す」「爆破する」とは違った「舞い上がる」と言う現象を表現した新たな特撮技術が見られる。

 

地球防衛軍』は地球を舞台にした作品だったが本作はナタール人の基地が月の裏側にあるとして中盤は月が舞台になっている。
現実世界では1959年10月に月の裏側が撮影され、1969年にアポロ11号のアームストロング船長が月面に着陸したと考えると、1959年12月公開の本作で地球より重力が小さい月を舞台にして科学的に正確な場面が作られたのはただただ驚くばかりである。

 

地球防衛軍』の白石は自分の意思でミステリアンの仲間になったが本作の岩村やアーメット教授は自分の意思に反してナタール人のロボットにされてしまった。
白石がミステリアンの仲間になった後も自分の意思を持っていた事からミステリアンは仲間になれば地球人でも人格の保証はしてくれる事が分かる。そして今回のナタール人が岩村達を有無を言わせずロボットにしてしまった事からミステリアン以上に地球人と共存不可能な存在であった事が分かる。

 

ナタール人はミステリアンと同じく直接組み合うと意外と弱かった。
ミステリアンはその弱さも「原水爆の後遺症」と言う設定があって作品のテーマに繋がっていたのだが、ナタール人の弱さは特に意味が無かったのは残念だった。

 

「戦いがメインになると軍と無関係の主人公が活躍する場面が少なくなる」と言う問題があるが、本作では新しい技術を使った新兵器が次々と投入された事で、それらの開発に関わっている勝宮が現場で指示を出す事になるとして、科学者でありながら戦いの場で活躍させ続けさせる事が出来た。
ただ、江津子さんを月にまで連れて行くのは無理があったかな。ヒロインとしてピンチの場面を作りたかったのは分かるが、さすがにそこは軍人を連れて行った方が良かったのではと思える。

 

地球防衛軍』と違ってナタール人に単なる侵略者以上の描写が無かったのでドラマやテーマの部分ではやや物足りなさを感じるが、総力を結集した地球とナタール人の全面戦争と言うシンプルな構図になっている事で全編に亘って様々な円谷特撮を楽しめる作品となっている。
映画のスケールで円谷特撮をガッツリと見る事が出来て次はどんな映像を見せてくれるのかワクワク出来る内容になっていて、特にクライマックスは宇宙や世界各地が舞台になった事でミステリアンのドーム周辺で最終決戦が展開された『地球防衛軍』より「地球の命運を賭けた最終決戦」を描けていたところがあったと思う。