帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『海底軍艦』

海底軍艦
1963年12月22日公開
脚本 関沢新一
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

 

押川春浪さんの小説『海底軍艦』を原作とした映画。
ただし、海底軍艦が登場する以外は映画独自の内容となっているらしい。

 

地球防衛軍』『宇宙大戦争』『妖星ゴラス』と「宇宙」を舞台にした作品が続いたが今回は地球の中で人類にとって未知の部分が多い「海」が舞台になっている。
本作もSF要素があるのだが海が舞台になると海坊主や船幽霊と言った妖怪・お化けの雰囲気も出てきてちょっと怪奇色を感じるようになる。

 

「海の特撮は大変」と言う話をよく聞くが本作は「海底軍艦」と「海底に沈んだムウ帝国」がメインなので海の特撮場面が多い。大変だっただろうなぁ。

 

戦争が終結してからもうすぐ20年になるとして序盤は水着写真のモデルを探す旗中と西部や戦争時の愛国心が分からない真琴と言った戦争が終わって平和が定着してきた日本を描いているが途中から戦争が終結してからまだ20年であるとして日本軍として戦いを続ける神宮司大佐や天野兵曹と言った人達が登場するようになる。
こういう戦争時代に生きた人と戦争後を生きる人が交わる事が出来るギリギリの時代が戦後20年にさしかかろうとしていたこの辺りだったのかなと思ったら本作が公開された約10年後に残留日本兵横井庄一さんや小野田寛郎さんが発見されている。事実は小説よりも奇なり。

 

「ムウ帝国の皇帝」と言う話が出て自分は男性をイメージしたので女王が出てきたのに驚いた。
ムウ帝国皇帝の年齢設定は分からないが演じた小林哲子さんは公開時は22歳で真琴役の藤山陽子さんと同い年であった。真琴は戦争中に生まれたが戦後の日本で育ったので昔の考え方を持っていなかったが、もし神宮司大佐が真琴を楠見少将に預けないで自分の手で育てていたら、ムウ帝国で生まれ育った皇帝のように真琴も昔の考え方に染まった人間になっていたかもしれない。

 

「戦争終結を拒否して日本軍反撃の為に海底軍艦を作り続ける神宮司達」と「海底に沈むが再び地上の覇権を狙うムウ帝国」は一見すると繋がりが無さそうな設定だが実はどちらも「昔の考えや認識を捨てる事が出来ず、変わってしまった世の中を自分達が抱いている昔の姿に戻そうとしている」となっていて、その点で言えば両者は同じ「キチガイの亡霊」だったと言える。

 

ムウ帝国が古代エジプトを思わせる暮らしをしている一方で潜航艇や飛行艇と言った兵器には1960年代の地上より遙かに進んだ技術を使っていた事に違和感を覚えたが、そう言えば本作は地上人も日常生活は公開当時のままであったが一方で海底軍艦轟天号には驚くべき技術がつぎ込まれていた。
こうして見ると地上人もムウ帝国も兵器の技術だけどんどん向上していると言うちょっと歪な発展を遂げていた。

 

マンダは意外と出番が少なかったが作品の前半から存在が言及されていた事とこれまでの東宝怪獣には無かった龍の形をしていた事から短い時間でも印象に残る怪獣となっていた。

 

ムウ帝国皇帝は途中まで殆ど姿を見せず終盤になってようやく本格的に物語に絡んでくるのだが、不用意に旗中達に近付いて人質にされるわ的確な状況判断が出来ずムウ帝国の状況を悪化させるわと言っては悪いがかなりの無能であった。ひょっとしたら彼女はお飾りの皇帝で長老の思惑通りに動かされていたのかな。

 

個人的な話をすると、ムウ帝国皇帝はプライドは高いけれど押されると意外とあっさり従ったりするところや古代エジプトを思わせる外見等がかなり好みのキャラクターであった。

 

主人公の旗中は筋をしっかり通すと言う主人公に相応しい人物であったが、「轟天号を開発した神宮司大佐の娘である真琴と神宮司大佐のかつての上司である楠見」「ムウ帝国が黒幕だった誘拐事件を追う伊藤刑事」「ムウ帝国が送り込んだ工作員であった海野」と比べると「雑誌の写真撮影中にムウ帝国が起こした事件を偶然目撃する」「写真のモデルにスカウトしようと追いかけた真琴がムウ帝国にさらわれそうになっていたところを偶然目撃して助ける」からムウ帝国と轟天号の戦いに重要人物として関わるようになるのはさすがにちょっと無理があったと思う。
誰とも因縁が無かったからこそフラットな立場で意見を述べられたところがあったと思うが、世界の命運を握る事件の中心人物になる理由がもう少し欲しかったところ。

 

轟天号によってムウ帝国があっさりと滅ぼされてしまったが、これでムウ帝国を弱いとするのは間違っていると思う。
ムウ帝国の攻撃によってパナマ運河、ベニス、香港、東京都心が多大な被害を出して、中には「生存者は絶望的」と言う話が出た地域もあった。ムウ帝国と轟天号の攻撃力を比較するとムウ帝国の方が遙かに上であったと言える。
しかし、ムウ帝国は地上の国全てを敵に回したので、仮に東京を壊滅させてもアメリカ等が健在であれば地上はムウ帝国に反撃する力を十分に持っている。一方でムウ帝国は心臓部が一つしか無いのでそこを破壊されたら帝国そのものが一気に崩壊してしまう。
ムウ帝国のある場所まで潜れる潜航艇が地上では轟天号しか無かったので、実は轟天号さえ無ければムウ帝国は地上との戦争に確実に勝てていた。そう考えるとムウ帝国が弱いのではなく、轟天号の性能がムウ帝国の弱点を確実に突けるものであったと言える。

 

戦争に負けた日本で楠見は考えを変える事が出来たが戦争に負けたムウ帝国皇帝は考えを変える事をせずムウ帝国と運命を共にした。楠見が考えを変える事が出来たのは戦争に負けても日本と言う生きていく場所がまだ残っていたからで、ムウ帝国と言う生きる場所を失った皇帝にはもはや考えを変えてまで生き延びると言う選択肢は無かったのであろう。
そんなムウ帝国皇帝の行動を神宮司は止めなかった。神宮司にとって戦争に負けた後の日本は既に自分が生きてきた場所とは違ったものになっていたのかもしれない。それでも神宮司には娘の真琴がいたので彼女の存在を生きる理由にして考えを変える事が出来たが、ムウ帝国皇帝はそのような家族や仲間も失ってしまった。もし娘の真琴がいなかったら自分はどのような選択をしたのかを考えた時、神宮司はムウ帝国皇帝の気持ちが痛いほどよく分かったのであろう。

 

最初は平和な日本で水着のねーちゃんの写真を撮っていた旗中と西部が最後は海底軍艦とムウ帝国の戦争の最前線に立ち会ってムウ帝国皇帝の最期を撮る事となる。
同じ女性を撮った写真で平和な社会と戦争の社会が見事に対比されていた。