『キングコングの逆襲』
1967年7月22日公開
脚本 馬渕薫
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎
東宝版キングコングの第2作であるが『キングコング対ゴジラ』の続編ではなく、当時放送されていたアニメ版『キングコング』との関係が強い作品となっている。
メカニコング登場!
『地球防衛軍』で宇宙人ミステリアンが作ったロボット怪獣モゲラが登場したが本作で遂に地球人がロボット怪獣を作り上げる事に成功した。
メカニコングは目に仕込まれた強烈な光でキングコングを苦しめたり、キングコングと違って疲れる事が無かったりとロボット怪獣としての強みが描かれていた。
怪獣映画と言えばマッド・サイエンティストが登場するイメージがあるかもしれないが実際は意外と登場していない。たまに倫理観がちょっと危ない博士は出てくるが、それでも最後の一線は中々越えないと言うか、基本的に日本の怪獣映画に登場する博士は善寄りの人が多い。それだけに風貌や言動が見事なマッド・サイエンティストであったドクター・フーは印象に残る人物であった。
ドクター・フーはネルソンとチェスを指すような知り合いだったらしいが一体どういう関係だったのだろうか?
ネルソンは悪人であるドクター・フーに対して心を一切許していなかったが、一方のドクター・フーはネルソンを高く評価している場面があったりと同じ科学者であるネルソンに対して仲間意識を持っていた感じがあった。
メカニコングを完成させて売り込みたいドクター・フーとエレメントXの回収が目的のマダム・ピラニアの対立が面白い。
マダム・ピラニアは資金援助の打ち切りをちらつかせてドクター・フーを脅すが、一方のドクター・フーもマダム・ピラニアの国はエレメントXを早急に回収する手段が無いところを突いて反撃する。
このように本作は全編に亘ってドクター・フーとマダム・ピラニアのやりとりが展開されていて「ネルソン達とドクター・フー達による正義対悪の戦い」と言うより「ドクター・フーとマダム・ピラニアによる悪対悪の戦い」と言ったところがあった。
劇中に登場する謎の物質「エレメントX」は核兵器の素になるらしく、北極の万年雪の底に眠っているエレメントXを手に入れたらマダム・ピラニアの国はアメリカやソビエトを上回る核保有国になれるとの事。
マダム・ピラニアの国の正体は謎のままであったがドクター・フーは「あまり文明国でもない小さな国」と言っていた。そんな小国が一夜にしてアメリカやソビエトを上回る事が出来る可能性があったと言うのが恐ろしい。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』でも赤イ竹が革命の為に核兵器開発を進めていたが本作でも「核兵器は世界のバランスを簡単にひっくり返してしまう事が出来る恐ろしいもの」と描かれている。
『ゴジラ』が公開された1954年の核保有国はアメリカとソビエトとイギリスの3カ国だけであったが、その後、フランスと中国も核保有国となり、さらに多くの国が核実験を行う等、核兵器は無くなるどころか地球上のあらゆる場所に存在するようになってしまった。
エレメントXは放射能だけでなく強力な磁気も発していた。この磁気はメカニコングを作動不良にしてキングコングの催眠術を解除してしまうとドクター・フーの計画をことごとく潰していった。
エレメントXは手に入れたら世界征服も可能となる夢のような代物であったが、一方でこの時代の人間ではまだとても扱いきれない恐ろしい代物でもあった。
物語終盤でマダム・ピラニアはキングコングとメカニコングが東京で戦って多数の犠牲者が出る事を回避する為にネルソン達を逃がそうとする。それを知ったネルソン達はマダム・ピラニアが改心したと考えて、自分達と一緒にドクター・フーの船から逃げるよう提案するがマダム・ピラニアはそれを拒否する。
最初から最後までマダム・ピラニアは祖国の不利益にならないように動いていた。終盤でネルソン達を逃がしたのも東京と言う外国の大都市でメカニコングが暴れて犠牲者が出たら自分達の国に捜査の手が及ぶと考えての事だった。
物語の序盤でドクター・フーは自分がマダム・ピラニアの敵ではない事を伝える為に「自分はマダム・ピラニアの国には興味が無い」と宣言するのだが、実はこの「マダム・ピラニアの国に興味は無い」と言う言葉には「マダム・ピラニアの国について余計な詮索はしない」の他に「マダム・ピラニアの国がどうなろうと自分の知った事ではない」と言う意味も含んでしまっていた。つまり、この序盤の場面はドクター・フーはマダム・ピラニアの行動原理が「国」である事を理解できていなかった事を示す場面になっていて、結果、ドクター・フーはマダム・ピラニアからの信頼を得る事が出来ず、最後は見限られて裏切られてしまう事となった。
キングコングの引き立て役と思われたゴロザウルスだったが、噛み付きとまさかのドロップキックで結構善戦したのに驚いた。
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』でのゴジラとダヨの場面と本作でのキングコングとスーザンの話を比較するとゴジラとキングコングの違いが分かって興味深い。
ゴジラはキングコングのように一人の人間に拘る事が無い。そこが怪獣としての威厳や怖さや神秘に繋がっているのだが、本作でスーザンを助けに来たキングコングのようなヒーロー的な場面を作るのが難しいところがある。だからなのか、モンスター・ヴァースのような作品だとゴジラよりキングコングを主役にした方が話が上手くまとまるところがあった。
国連にキングコングの存在を報告したネルソンが記者から「キングコングを捕獲するのか?」と尋ねられて「ニューヨークに連れて来ても持て余しますよ」と返すのは『キング・コング』を知っていると思わずニヤリとなる場面であった。
ここでニューヨークに連れて行かれなかった事で本作のキングコングは生きて物語を終える事が出来たのかな。
ドクター・フーの助手を見た野村は「こいつら日本人じゃありませんね。私にはよく分かります」と語るが、田島義文さんの顔を見て「日本人ではない」とすぐに見破るのは凄いな。
ゴジラと違ってキングコングは無闇に街を破壊したり人間を襲ったりはしないし放射能も吐かないのでまだ安心出来るところがあるのかもしれないが、キングコングとメカニコングの戦いとスーザンの危機一髪を最後まで見ている野次馬の数がかなり多くて思わず「早く逃げなさいよ!」とツッコミたくなる。
他の怪獣と比べてキングコングは人間との距離が近いので、本作ではキングコング達と人間が同じ画面にいる事が多いのだが全体的に合成のレベルが高かった。
本作は合成だけでなくミニチュアのレベルも高くて、特に終盤に登場した東京タワーとその周辺の完成度には驚かされた。
1970年代に入ると怪獣作品は予算とスケジュールが厳しくなっていって、このスケール感を維持するのが難しくなっていったのは実に残念な事であった。
『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』ではトラウマシーンとなった「人型の怪獣が大激走して人間を襲って命を奪う」と言う場面が本作のクライマックスではカタルシス満点の場面になるのが面白い。ここに至るまで「加害者のドクター・フー」と「被害者のキングコング」をしっかりと描写していたからこそ成立したカタルシスであったと思う。
キングコングは観客が感情移入してしまう存在でありながら悲劇的な結末になる事が多いキャラクターだったので本作では無事に故郷に戻れて良かった。
