帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズとゴジラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『メカゴジラの逆襲』

メカゴジラの逆襲
1975年3月15日公開
脚本 髙山由紀子
特技監督 中野昭慶
監督 本多猪四郎

 

ゴジラシリーズの第15作。
長年続いてきた昭和のゴジラシリーズは本作で一旦終了となる。
本編監督に本多猪四郎さんが、音楽に伊福部昭さんが復帰して1作目の『ゴジラ』を思い出す雰囲気となっている。
因みに本作は本多猪四郎監督最後のゴジラ映画となっている。

 

脚本の髙山由紀子さんはシナリオ学校の生徒で、本多猪四郎さんによる新作ゴジラ映画脚本のコンペで選ばれて本作で脚本家デビューを果たしたらしい。

 

昭和のゴジラシリーズでは珍しく前作の『ゴジラ対メカゴジラ』の直後の話となっていて、オープニングで前作でのゴジラメカゴジラの戦いが振り返られている。
音楽が佐藤勝さんから伊福部昭さんに代わる事でここまで雰囲気が変わるのかと驚かされる。

 

ブラックホール第3惑星の最期が近付いている事が明かされる。その為にブラックホール第3惑星人は地球を侵略して移住するつもりなのだが、ここでムガール隊長は「我々は東京を作り変える」「我々の肉体を再び取り戻す事の出来る街を作る」と説明している。
本作ではブラックホール第3惑星人の正体は顔にケロイドがある姿になっているが、ひょっとしたら彼らは最期が近付いているブラックホール第3惑星の環境によって身体に重大な損傷を負っているのかもしれない。
ブラックホール第3惑星人は宇宙人の中では珍しく特殊能力を持っておらず身体能力も地球人とあまり変わっていないが、実は万全な状態ではなかった可能性がある。

 

生物学者の真船博士は動物を自由自在にコントロールする実験に乗り出し、今から20年前に小笠原の海底で恐竜を発見したと報告すると恐竜にチタノザウルスと命名して必ずコントロールしてみせると発表するのだが、これが命取りとなって5年後に研究所を辞めさせられる事となった。
ゴジラアンギラスと言った恐竜の生き残りが現れている世界で恐竜の生存を訴えて学会を追放されるのはおかしい」と指摘される事があるが、その後の会話を聞いて分かるようにここで問題になったのは「恐竜の生存」ではなく「動物を科学的にコントロールする力を人間が手に入れて良いのかどうか」である。(実際、太田所長はその点について真船博士の研究に断固反対を表明している)
X星人やキラアク星人やM宇宙ハンター星雲人と怪獣をコントロールする種族は数多くいて、地球人も怪獣をコントロールする事が出来たら彼ら宇宙人と肩を並べる事になるのだが、他の生き物を科学的にコントロールするようになった行き先はX星人のように自分達すら機械的に管理するようになるディストピアである可能性が高くて危険である。
本作で多くの科学者がX星人達のように動物を科学的にコントロールする真船博士の研究にNOを突きつけた事が判明したが、これで地球人達はX星人達とは違う未来を歩む事になったのか、本作より未来を描いた『怪獣総進撃』の怪獣ランドでは怪獣達を科学的にコントロールするのではなく本能や習性を利用して動きをコントロールする方法が採用されていた。

 

この手の作品の主人公は「他の生物をコントロールする」については否定的な立場を取る事が多いのだが本作の主人公である一之瀬は真船博士が残した資料を読んで真船博士の考えは正しいと思うようになり、真船博士の研究を引き継ごうとまで考えた。
本作における一之瀬の物語が「他の生物をコントロールする事の是非」より「桂との悲恋」に重点が置かれていたのであまり深掘りされなかったが、一之瀬と真船博士が研究についてじっくりと意見を交わす場面があっても良かったかなと思う。

 

同じ平田昭彦さんが演じている事もあって本作に登場する真船博士は『ゴジラ』の芹沢博士と比較される事が多い。
芹沢博士はオキシジェン・デストロイヤーの危険性を分かっていて、これが公になった時に自分がどのような状況に追い込まれるのかも理解していたのだが、残念ながら真船博士は「生物をコントロールする技術」を発表する事で自分がどのような状況に立たされるのかを想像する事が出来ていなかった。
劇中ではブラックホール第3惑星人が真船博士の研究を利用してチタノザウルスをコントロールしようとしたが、この研究が進めば地球人全てがブラックホール第3惑星人にコントロールされる恐れがあった。もし芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーの存在を公にした後も生き続けていた場合、芹沢博士が危惧したように各国の為政者達がオキシジェン・デストロイヤーを兵器にしようと画策しただろうし、ブラックホール第3惑星人のような侵略者が目を付ける恐れも十分にあった。
スパイダーマン』に「大いなる力には大いなる責任が伴う」と言う言葉があるが、科学者にも同じ事が言えるのだと思う。

 

桂は手術シーンで乳房が映し出されるのが有名だが、真船邸にいる時のブラウス姿も下着がうっすら見えるようになっている等、これまでのゴジラシリーズには無かった描写がされている。

 

ブラックホール第3惑星人は前作でも本作でも家族を利用して宮島博士や真船博士を協力させている。
真船博士に協力する事で生物をコントロールする技術を完成させたところを見るにブラックホール第3惑星人はサイボーグを作る技術は発展しているが他の生物をコントロールする技術は持っていないようだ。その為か基本的にブラックホール第3惑星人は脅しを使って相手に言う事を聞かせるしか方法が無いところがある。
前作も本作もブラックホール第3惑星人は宇宙人でありながら地球人と変わらない言動をしていたが、他の生物をコントロールする技術を持っていないので、地球人になりすまして地球の社会に入り込む形で計画を進める事になったのかもしれない。

 

ところでブラックホール第3惑星人が桂をサイボーグにしたのは一体何年前なのだろうか? 回想シーンを見ると結構昔のように思えるが、ひょっとしたら前作に登場した黒沼達のグループが地球で活動を開始する以前からムガール達のグループも地球で活動していたのかもしれない。
そう考えると前作で黒沼達が地球侵略計画の遅れを本部に知られない為に宮島博士を拉致してメカゴジラを修理させたのも、黒沼達のグループが失敗したらムガール達のグループが地球侵略計画の主導権を握る事になると言ったようにブラックホール第3惑星人の中で派閥争いが起きていたのかもしれない。

 

それにしてもブラックホール第3惑星人のコスチュームはもう少し何とかならなかったのかなぁ……。
自分は1978年生まれなので当時の事は分からないが、なんとなく1970年代より1960年代の作品の方が美術面は洗練されていた印象がある。

 

X星人の波川と並んで昭和ゴジラシリーズの悲劇のヒロインとして有名な桂。
波川は「他人に姿形も生き方もコントロールされた」で、桂は「機械化された事で普通の人生を歩めなくなった」と、彼女達の悲劇の理由からX星人ブラックホール第3惑星人の思想の違いが見えてくる。

 

桂がキングギドララドン、マンダを回想する場面で、マンダは『海底軍艦』ではなく『怪獣総進撃』の個体が回想されている。因みに全て宇宙人にコントロールされた怪獣である。

 

メカゴジラの最大の敵は何だ?」、
「……ゴジラ!」、
「そうだ。見ろ! 今、ゴジラはチタノザウルスに向かってやって来ている。奴らが戦えば、たとえチタノザウルスが倒されたとしてもゴジラもまた力を失うだろう。その時我々は一挙に東京を襲うのだ。メカゴジラの逆襲だ!」。
ゴジラシリーズでは珍しいタイトル回収で思わず「おおっ!」となった。

 

暗闇の街中に一瞬だけ影が見えて、直後にチタノザウルスに放射熱線が吐かれ、その後、光と共にゴジラが姿を現して伊福部音楽が鳴る場面が最高に格好良い。

 

本作は怪獣の場面が少なくて、ゴジラが登場するまで45分かかった上にチタノザウルスとの初戦は殆ど戦わずに終わっている。タイトルに選ばれているメカゴジラが出撃するまで55分もかかっていて、映画が始まって1時間以上経ってようやく本格的な怪獣対決が始まっている。
本作はオープニングで前作のゴジラメカゴジラの戦いが振り返られているが、映画の前半で怪獣対決が無かったのでバランスを取る為に入れられたのかも。

 

街を歩くチタノザウルスの後ろをメカゴジラが飛んでくる場面が好き。

 

改良されたメカゴジラのフィンガーミサイルで地面が吹き飛んだのには驚いた。
身長50mの怪獣一体でも地球の文明を滅ぼせる説得力があった。

 

メカゴジラが破壊した瓦礫をチタノザウルスが強風を起こして吹き飛ばしている。
ブラックホール第3惑星人の目的は地球人が作った街を自分達に適した新しい街に作り変える事なので、瓦礫を吹き飛ばして更地を作るチタノザウルスの能力はありがたいものだったと考えられる。

 

チタノザウルスに襲われた子供達が助けを求めて、そこにゴジラが駆けつける場面はまさにヒーローと言えるものであった。
何だかんだ言ってミニラが登場してからのゴジラは人間の子供にも優しくなった。

 

気のせいかゴジラは成虫モスララドン、チタノザウルスと強風を起こす相手に苦戦する傾向がある。

 

チタノザウルスが意外と力が強かった事に驚く。
ダイの大冒険』でマァムの体を乗っ取ったミストバーンがマァムの体のダメージを気にせずに全力で戦った事があるが、それと同じで桂達に体をコントロールされているチタノザウルスも体のダメージを考慮されないで常に限界近くまで力を出されているのかもしれない。

 

一方でメカゴジラは桂がコントロールしているからか前作のようにバカスカ撃って攻撃する事が少なくなった。

 

メカゴジラの一斉攻撃に対して前作のゴジラは全く対処出来なくて右往左往してしまったが今回のゴジラは一斉攻撃をものともせず前進して近接戦に持ち込む事に成功している。
今回のゴジラは磁力を発しなかったが、雷を浴びていなかったので全身を磁石にするだけの電気エネルギーが無かったのかな。

 

前回の戦いを思い出してメカゴジラの首を狙うゴジラであったが、今回のメカゴジラは首を取られてもまだ活動する事が可能となっていた。この辺りは昭和のゴジラシリーズでは珍しく前作の展開を踏まえていて良かった。
首が無くても攻撃してくるメカゴジラの姿はまさにロボットならではであった。

 

今回のゴジラキングシーサージェットジャガーアンギラスと言った味方怪獣はいなかったが、人間が開発した超音波発生装置が活躍していたので、今回のゴジラの味方は人間だったと言える。
本作のゴジラを見ると『ゴジラ対ヘドラ』の時より人間との信頼関係が築かれている感じがする。

 

メカゴジラ二部作はどちらもインターポールが登場しているが、前作がアクション中心のスパイ映画風だったのに対して本作はミステリー中心の刑事ドラマ風になっていた。

 

メカゴジラ二部作を見ると意外とメカゴジラのドラマが少ない事に気付く。キングギドラヘドラと違ってメカゴジラゴジラを元にして作られた存在なのでドラマに関してもゴジラとどのように絡むのかが求められるのだが実は昭和のゴジラは意外とドラマを持っていなかったりする。
一作目の『ゴジラ』と二作目の『ゴジラの逆襲』ではゴジラのドラマがあったのだが、三作目の『キングコング対ゴジラ』以降はゴジラではなく対戦怪獣やゲストの人間がドラマの中心になっている。例えば『モスラ対ゴジラ』はモスラや小美人がいないとドラマが成立しないのだが実はゴジラアンギラスキングギドラと代わってもドラマが成立するようになっていた。『キングコング対ゴジラ』以降でゴジラがいなければドラマが成立しない作品は息子のミニラが出てくる『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』くらいであろうか。
ゴジラ対ヘドラ』のヘドラゴジラと絡まなくても公害をテーマにドラマを作る事が出来るのだが、メカゴジラゴジラを元に作られているのでドラマを作るのにもゴジラの存在が必要となる。しかし、この頃のゴジラシリーズはゴジラにドラマを持たせていなかったのでメカゴジラキングシーサーや真船親子と言ったゴジラ以外のものと関わった。だが、前作ではメカゴジラと沖縄を上手く絡める事が出来ず、本作では真船親子のドラマに集中しすぎた為にメカゴジラのドラマが弱くなってしまった。
昭和のゴジラ作品の多くでドラマの中心はゴジラではなくゴジラの対戦怪獣やゲストの人間となっているがそれでもゴジラは作品の中心としての役割があった。それは「全てを破壊する」で、『モスラ対ゴジラ』までは「全てを破壊するゴジラ」を阻止する人間達のドラマが描かれ、『三大怪獣 地球最大の決戦』からは「全てを破壊するゴジラ」がキングギドラと言った凶悪怪獣やX星人と言った侵略者を破壊してくれる事を人々が期待する作りになっていて、本作でもゴジラは自身のドラマは殆ど無いのだが最後にブラックホール第3惑星人、メカゴジラ、チタノザウルスを全て破壊して戦いを終わらせている。

 

本作で昭和のゴジラシリーズが一旦終了する事を頭に入れてラストシーンを見ると、夕焼けの海の中を独り進むゴジラの姿にちょっと寂しさを感じる。

 


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メカゴジラの逆襲