帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズとゴジラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『ゴジラvsキングギドラ』

ゴジラvsキングギドラ
1991年12月14日公開
特技監督 川北紘一
脚本・監督 大森一樹

 

ゴジラシリーズの第18作で平成VSシリーズの第2作。「東宝創立60周年記念映画」となっている。

 

前作の『ゴジラvsビオランテ』は新怪獣のビオランテが登場するなど「これまでとは違ったゴジラ作品」になっていたが、本作は有名怪獣のキングギドラが設定を変えて再登場し、土屋嘉男さんや佐々木勝彦さんと言った過去のゴジラシリーズで主要人物を演じた人達が重要な役で出演し、音楽監督伊福部昭さんが復帰するなど「昭和のゴジラ作品を平成に復活させた作品」になっている。

 

前作の『ゴジラvsビオランテ』の興行成績が伸び悩んだ為に本作では人気怪獣のキングギドラが登場する事となった。
内容も過去にキングギドラが登場した『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣大戦争』を元にしていて、以降のゴジラシリーズは過去の作品との共通点や変更点を探すのも一つの楽しみとなった。

 

タイムマシンの存在を知らない1992年の人々が未来人のタイムマシンをUFOだと考えたのは『三大怪獣 地球最大の決戦』に「宇宙円盤クラブ」が登場していたのに因んでいるのかな。
この「タイムマシンを宇宙船だと勘違いする」は1944年の場面にもあって、ここで宇宙船(タイムマシン)を目撃したのはアメリカのスピルバーグ少佐となっている。おそらくこのスピルバーグ少佐の未来の息子が1977年に映画『未知との遭遇』を作った映画監督のスティーヴン・スピルバーグだと思われる。

 

スピルバーグ少佐」の場面から分かるように本作は『未知との遭遇』や『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と言った洋画の影響を受けている場面が多い。
キングギドラの初登場作品である『三大怪獣 地球最大の決戦』も『ローマの休日』をオマージュしているので、海外作品をオマージュする事が過去のキングギドラ作品へのオマージュになっていると言える。
ただ、まぁ、本作の洋画オマージュの部分を見た感想を述べると、「日本の映画ってハリウッド映画と比べると予算や技術の面で色々と厳しいんだなぁ……」とちょっと悲しい気持ちになった。『三大怪獣 地球最大の決戦』のように人間関係をオマージュする場合はアイデアで解決出来るところがあるのだが、本作のような映像面のオマージュだとその場面にかけられている予算の規模が違いすぎてアイデアだけでは埋められないものを感じた。

 

寺沢は超能力の本で家を建てたと言う設定。
超能力の本の売り上げでこれだけ立派な家を建てると言うのは設定に無理があるのでは?と思ったが、そう言えばこの世界では三枝未希を始めとする超能力者の存在が確認されていたのだった。
どの時期に超能力者の存在が公に認められたのか分からないが、ひょっとしたら、寺沢が超能力の本を出したタイミングが超能力者が公に認められたタイミングと合致して世間で大きな話題になったのかもしれない。
その割には寺沢は「もう超自然現象には飽きた」「これからは心を入れ替えて人間モノのノンフィクションライターを目指す」と言っていてあまり超能力に思い入れが無い感じであった。ひょっとしたら、実は超能力等と言った超常現象には懐疑的で、超能力に関する本も実はネタ半分で書いたものが予想外にヒットしてしまったのかもしれない。

 

ゴジラvsビオランテ』の三枝未希が再登場。
前作から年月が経って大人になったからか、本作では前作での大河内明日香の役割も担っているところがある。

 

本作ではゴジラになる前の恐竜ゴジラザウルスが登場して、マーシャル諸島ラゴス島に生息していたゴジラザウルスが昭和29年3月1日に行われたビキニ環礁の核実験でゴジラに巨大化凶暴化したと言う設定になっている。
因みに意外と劇中では触れられていないのだが、1954年の『ゴジラ』に登場したゴジラ1984年の『ゴジラ』に登場したゴジラは別個体なので、実は本作で歴史が修正されても1954年の『ゴジラ』の物語に影響は無かったりする。

 

かつてラゴス島に赴任していて現在は屋台を営んでいる老人の話によるとゴジラザウルスは大人しい存在だったらしい。と言う事はラゴス島では日本兵達とゴジラザウルスの間に何らかの交流があったと言う事なのかな。
本来は大人しくて人間とも交流の可能性があったゴジラザウルスが世界を滅ぼすほどの怪獣に変異してしまったと言うところに人間の罪を感じる。

 

池畑は「恐竜は神聖なり」と言う旗を立てて恐竜について熱く演説するようになり、新堂会長は「恐竜博士」を自称してゴジラザウルスがゴジラに変異したと知ると「奴はワシの救世主なんだ」「奴はもう一度我々の為に戦ってくれる」と語る等、ラゴス島の生き残りはゴジラザウルスに脳を焼かれていた。
「戦争で絶体絶命の危機から一気に形勢を逆転させた力」と言う点でラゴス島のゴジラザウルスは「神風」であったと言える。そして23世紀の白人達が繰り出すキングギドラによって日本が蹂躙されるのを見て新堂会長は再びゴジラが「神風」になってくれる事を期待するのであった。

 

前作の『ゴジラvsビオランテ』で抗核バクテリアを打ち込まれたゴジラは1000日を過ぎても活動を抑えられていて、なんと23世紀になってもゴジラは日本に出現しなかったらしい。ゴジラシリーズでゴジラの活動を100年単位で抑え込めたものは他に無く、白神博士の凄さが改めて分かった。

 

本来の歴史では23世紀の日本は経済大国になって赤字国の領土を買収して世界の覇権を握るようになっていた。本作の公開直前に崩壊したが当時のバブル経済が如何に凄かったのかを感じる設定となっている。
平成VSシリーズの世界では『ゴジラvsビオランテ』の大河内会長や本作の新堂会長のように日本を強くしてアメリカ等と渡り合おうと考えている人物がいるので、ゴジラによる被害もバブル崩壊も無いまま日本が突き進んでいたら世界の覇権を握る未来は十分にあり得たと思う。

 

昭和のゴジラシリーズではキングギドラを操っていたのは『怪獣大戦争』のX星人のように進んだ科学力を持つ宇宙人であったが本作では未来人となった。
昭和のゴジラシリーズでは遠く離れた星からの侵略に対抗する為に地球の人々が一致団結する事になるのだが本作では地球人同士で争う事となった。

 

本作に登場するキングギドラは宇宙怪獣ではなく三体のドラットがゴジラの代わりにビキニ環礁の核実験で放射能を浴びて変異したと言う設定。
前作のビオランテは「ゴジラ細胞」と言う設定で「ゴジラの分身」とも言える存在になっていたが、本作のキングギドラも「ゴジラが浴びる予定だった核実験の放射能を浴びた」と言う設定で「ゴジラの分身」と言える存在となった。

 

人間のペット用に遺伝子操作で作られた動物が怪獣キングギドラに変異するのは無理があるのではないかと思ったが、おそらくあの個体はビキニ環礁放射能で怪獣キングギドラに変異するように遺伝子操作されていたのであろう。そう考えると前作の『ゴジラvsビオランテ』で危惧されていた「遺伝子工学ゴジラ以上の怪獣を作り出してしまう」が実現したとも言える。

 

過去にキングギドラが登場した『怪獣大戦争』や『怪獣総進撃』では地球人も宇宙人も怪獣をコントロールして戦争の道具にしていたが、本作も未来人はキングギドラを作り出してコントロールし、現代人もキングギドラに対抗する為にゴジラを復活させようとして、さらにキングギドラを倒して暴れまくるゴジラを止める為に今度はキングギドラをサイボーグにしようと考える等、怪獣を「危機を解決する為の強力な兵器」として扱っていた。

 

キングギドラに対抗する為にベーリング海に眠っている恐竜をゴジラにしようと言う話が出て、日本は表向きは核を持っていないが、新堂会長の帝洋グループは東南アジアのある軍事施設に核ミサイルを搭載した原子力潜水艦保有していた事が明かされる。
こんな兵器を一企業が保有していた事に藤尾所長は憤るが、内閣安全保障室の土橋室長は以前から知っていた雰囲気があった。1984年の『ゴジラ』には核戦争を想定した首都防衛移動要塞のスーパーXが極秘裏に開発されていたし、『ゴジラvsビオランテ』では大河内会長がゴジラ細胞を使って日本がアメリカやソビエトに対抗する事を考えていたので、一般人の見えないところで日本政府はかなり激しい争いを他国と繰り広げられていたと思われる。

 

個人的に本作の設定でかなり大きなポイントは「ゴジラの誕生にアメリカの核実験が関わらなくなった」だと思っている。
最初は「マーシャル諸島でのアメリカの水爆実験でゴジラが誕生した」とハッキリ言っているのだが、歴史改変によって「ベーリング海で沈没したソビエト原子力潜水艦によってゴジラが誕生した」となり、さらにそこに「日本の帝洋グループが保有する原子力潜水艦によってゴジラが100mに巨大化する」が加わって、ゴジラと言う存在とアメリカの核実験が完全に切り離される事となった。
「未来のアメリカ人がアメリカの核実験で誕生したキングギドラを使って経済大国になった日本を破壊する」に対して「日本人が日本とソビエト原子力潜水艦で誕生・強大化したゴジラキングギドラと未来のアメリカ人に反撃する」と言う「アメリカvs日本」の構図を冷戦が終わりを告げるこの時期にやったのは意図的だったのか偶然だったのか……。

 

「20世紀は我々の時代と違って地球上の至る所に核がある。考えてみれば、どこに恐竜をワープしようとゴジラの誕生は避けられなかったかもしれない。愚かな時代。救いようのない原始人どもだ」。
基本的にエミー以外の未来人達は20世紀の人間を見下して小馬鹿にしているのだが、この場面では心底呆れている感じになっている。

 

23世紀の科学力でキングギドラを誕生させた未来人達であったが20世紀の核兵器によってゴジラが復活して状況は予断を許さなくなる。
核兵器が全て廃棄された23世紀では日本が世界の覇権を握っている状況を変える事は難しいが、核兵器が至る所にある20世紀では23世紀の科学力を有する未来人とキングギドラが覇権を握ってもあっという間に状況を変えられる恐れがある。それほどまでに核と言うのは凄まじい力を持っているのだった。

 

北海道に上陸したゴジラが画面の奥を進んでいて、その手前を牧場の牛達がのんびりと歩いている場面が好き。
本作の特撮シーンは全体的に動きがあって派手なものが多かったのでギャップで印象に残った。

 

本作ではゴジラキングギドラの意外と珍しい一対一の戦いが見られる。
平成VSシリーズのゴジラは遠距離戦は放射熱線、近接戦は体内放射とどの距離でも相手にダメージを与えられるようになった。
キングギドラが優勢でも結局は操縦者が倒されてコントロール装置に不具合が発生して逆転される流れは昭和の頃を思い出して懐かしさからちょっと笑みがこぼれてしまった。

 

エミ、アンドロイドM11、寺沢の活躍によって形勢が逆転するわけだが、明らかに計画に不満を抱いているエミーを自由にさせてアンドロイドM11を改造させるわ、寺沢の侵入を許してしまうわ、エミー達の破壊工作に中々気付かないわと未来人達がさすがにちょっと間抜けすぎた。途中まではちゃんとエミーを警戒していたのに急に未来人達が迂闊になるこの逆転劇はちょっと都合が良すぎて残念だった。

 

よくよく考えたら未来人とは言え人間である事に変わりはないのだが、主人公達がテレポーテーションを使って未来人達をゴジラの前に移動させて倒してしまう流れは何度見ても「ザマァw」と言う気分になる。

 

本作の未来人達の元ネタは『怪獣大戦争』のX星人だと思われるが、X星人達の最後の言葉であった「未来に向かって脱出する」を今回の未来人達が本当に実行しようとしたのは面白かった。

 

新堂会長の最期は見ていて色々と考えさせられるものがある。
新堂会長はラゴス島で自分達を救ってくれた恐竜に「我々を救ってくれたものを残してこの島を去る事は誠に忍びないが許してほしい。自分達にはどうしてやる事も出来ない。傷を治す事も。ここから運び出す事も。一刻も早く傷の癒える事を祈っている。我がラゴス島守備隊一同、この恩は生涯忘れない。敬礼」と言っておきながら、「神風」の如くアメリカ軍から自分達を守ってくれた恐竜を「救世主」「もう一度我々の為に戦ってくれる」として再びゴジラに変異させようとした。かつて自分達を助けてくれた恐竜を今度は自分達の為に利用しようとしてしまったのだ。
言うまでもなくゴジラは「核の被害者」である。歴史改変によって核の被害から逃れられたかもしれない恐竜に新堂会長は再び核を浴びせようとした。結局、新堂会長が実行する前に恐竜はゴジラに変異していたのだが、新堂会長が保有していた核ミサイルによってゴジラはさらに強大になって日本を滅ぼす恐れが生じてしまった。未来人達が「核兵器の信奉者どもが復活させたゴジラによって20世紀の日本は叩き潰される」と言っていたが、まさに新堂会長は「ゴジラに助けられる側」から核兵器の信奉者と言う「ゴジラに倒される側」に変わってしまった。

 

新堂会長とゴジラザウルスの関係を知った真崎教授は「戦後日本経済を立て直した男はその恐竜がいなければ戦死していた」と呟き、新堂会長もゴジラが破壊する新宿に残って「まぁ、いいじゃないか。好きにさせてくれ。どうせ私の人生はラゴス島で終わっているんだ。恐竜のおかげで生き延びたワシが築いたこの国の繁栄を同じ恐竜がゴジラに姿を変えて壊しに来たかと思うと、皮肉な話だ」と語る。
これまでゴジラと戦後日本の関わりは「核がまたいつか日本に降り掛かる恐れがある」と言う影としての描かれ方が殆どであったが、本作では「後にゴジラになる恐竜がアメリカ軍から救う事になった人物が戦後の日本を立て直した」と言う戦後日本の光の部分にもゴジラが関わっていたとなって、より複雑なものとなった。
新堂会長がゴジラに殺された後に真崎教授が「彼にとってあの恐竜は何だったんだろう……」と呟いたが、本作によって新堂会長だけでなく日本人全員にとってゴジラとは一体何なのか簡単には説明出来ない難しさを生む事となった。

 

キングギドラをサイボーグにする事は可能かどうかと言う話の中で「細胞組織が死んでいなければ再生出来る」となってアンドロイドM11が「私はそうやって生まれた」と語る場面がある。「アンドロイド」「ロボット」となっているので無から作られた機械なのかと思ったが、ひょっとしたら、メカキングギドラと同じくアンドロイドM11の元となった人間がいたのかな?

 

メカキングギドラはあの強いキングギドラをさらにメカに改造してしかも人間が乗り込んで操縦してゴジラと戦うと言う男の子の夢全部盛りな設定で大人になった今見てもテンションが上がるものとなっている。

 

ゴジラとメカキングギドラの戦いは巨大な新宿副都心のセットを舞台にした大迫力のもので、ここで平成VSシリーズの戦いのイメージが確立したと言える。
本作のミニチュア破壊は迫力優先でリアリティに欠けるところもあるが、これも一つのエンターテイメントの方向性としてアリなんじゃないかなと自分は思っている。

 

さて、本作を語る上で避けては通れないのがタイムスリップによる矛盾。今回のレビューを書くにあたって矛盾を解消出来る説を出そうと頑張って色々考えてみたのだが、やっぱり駄目だった。
普通は矛盾があっても大勢のマニアが長年議論していけば何かしら辻褄が合う考察が出てくるものなのだが本作の矛盾点は何をどうやっても解決出来ない。
せめてこの時点では予定されていなかった『ゴジラvsスペースゴジラ』を含めて考えたら矛盾が生じてしまうが本作の中だけだったら矛盾は生じないだったらまだ良かったのだが、残念ながら本作の中で1944年から1992年に帰ってきたところで矛盾点・疑問点が次々と出てきてしまうんだよなぁ……。
まぁ、1944年のラゴス島でドラットが放された時点で観客は「ゴジラの代わりにキングギドラが誕生する」を予想出来たので、だったら歴史改変による世の中の変化をあれこれ描くよりキングギドラをすぐに出してしまおうとしたスピード感はエンタメとしてアリなのかもしれない。
ぶっちゃけると本作におけるタイムスリップは「怪獣を出現させる」「ゴジラの過去を描く」為の道具に過ぎないので、ここはタイムスリップの設定や理屈をあれこれ考えるよりゴジラキングギドラ(メカキングギドラ)の戦いを素直に楽しむのが正しい見方なのかもしれない。
本作以降の平成VSシリーズは怪獣バトルを優先して全体的に力押しで話を進めるところが出てくる。この頃のゴジラシリーズを見に来るファミリー層の殆どが怪獣バトルを目的にしているので、そこを優先するのはエンタメとして当然だと言うのは分かるが、一方で、もう少し設定や理屈を大事にしてほしいと思う人達も出てくるわけで、この後にシリーズが復活した平成ガメラや平成ウルトラが設定や理屈を重視するようになったのは本作以降の平成VSシリーズに対するカウンターだったと考える事が出来る。

 


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