『ゴジラvsモスラ』
1992年12月12日公開
脚本 大森一樹
特技監督 川北紘一
監督 大河原孝夫
ゴジラシリーズの第19作で平成VSシリーズの第3作。
本編監督が大森一樹さんから大河原孝夫さんに代わったが脚本は大森さんが続投しているので前作までと話や人物がちゃんと繋がっている。
キングギドラが再登場した前作『ゴジラvsキングギドラ』に続いて本作ではモスラが再登場している。
元々は『モスラvsバガン』と言うモスラが主役の企画から始まっているので本作はモスラ中心の内容となっている。平成VSシリーズでは珍しくゴジラの存在が脇に置かれているので、結果として昭和のゴジラシリーズに近いゲスト怪獣中心の内容となった。
前作の『ゴジラvsキングギドラ』と同じく有名洋画のオマージュがあって、主人公の拓也は『インディ・ジョーンズ』のようなトレジャーハンターとなっている。
この時代に日本人のトレジャーハンターが仕掛けのある遺跡でお宝を探すと言う設定はさすがに荒唐無稽であるが、ここは作品をファミリー向けに振り切って主人公も子供向けの漫画やアニメのようにしたのかもしれない。
元々本作はモスラや小美人と言ったファンタジーなキャラクターが登場しているので、拓也達の人物造形が漫画やアニメのようになっても特に違和感は覚えなかった。
前作の『ゴジラvsキングギドラ』でも昭和のゴジラシリーズで主要人物を演じた人が重要な役を担当していたが本作も宝田明さんが南野局長役で出演している。
又、前作では『ウルトラマン』でムラマツキャップを演じた小林昭二さんが出演していたが、本作では小林昭二さんに加えて『ウルトラマンタロウ』で東光太郎を演じた篠田三郎さんも出演していて、昭和のウルトラシリーズ好きは思わずニヤけてしまう。
本作のテーマは「環境問題」で、昭和ではインファント島の自然は核実験によって失われたが本作では開発による環境破壊で失われる事となった。
土橋「隕石一つが引き金になって地球のあちこちでとんでもない事が起こり出したようだ」、
南野「確かに隕石が引き金になった。しかし、危険な弾を込めていたのはむしろ私達人間なんだ」。
本作は隕石をきっかけにゴジラ、モスラ、バトラが現れたが、隕石一つで怪獣が次々と出てくる状況を作っていたのは核実験や環境破壊を繰り返す人間であった。現実世界でも環境破壊が問題となっているが、今すぐに我々の生活に危機が及ぶと言う感じはあまりしない。しかし、何か大きなきっかけがあれば次々と問題が目の前に噴出する危険な状態に我々はいるのかもしれない。
本作はモスラが登場するので『モスラ』『モスラ対ゴジラ』を元にした内容となっているが、『モスラ』『モスラ対ゴジラ』では善悪がきっちりと分かれていたのに対して今回は主人公が罪を犯すと言うかなり驚きの展開がある。しかし、本作は「環境破壊と言う罪を犯した人間にもう一度チャンスが与えられる」と言う内容なので主人公に一度罪を犯させるのは作品のテーマを考えると納得出来るところがある。
本作は恋愛要素があるのだが若者二人ではなくて一度離婚した夫婦と言う子供向け作品では珍しい恋愛が描かれている。
ファミリー向け作品は子供の観客や視聴者が多いので主人公も子供である事が多いのだが、本作はあくまで拓也と雅子と言う親が主人公であった。結果として、冬休みに子供を映画館に連れてくる親世代も見やすいドラマになったと思う。
安東は拓也と対になっている人物で、自由人で何でも自分で考えて決断する拓也に対して安東は会社に縛られて自分で考えて決断する事が出来ない人物となっている。
一方でどこか無責任で逃げ癖がある拓也に対して安東は逃げずに最後まで友兼社長を説得するなど責任感のある人物となっている。
本作の悪役である友兼社長は『モスラ対ゴジラ』の虎畑を思い出す人物であるが、『キングコング対ゴジラ』の多湖部長の要素も加えられていて、誘拐した小美人のコスモスに契約金とギャラをちゃんと払おうとしたりするなど絶対悪とは言えない感じになっている。
むしろ彼は開発によって発展し続けてきた戦後日本の価値観の中で生まれ育った人物で、モスラによって破壊される街を見ても「壊せ! もっと壊せ! この街は俺が新しく作り直す!」と言った戦後日本の発展を促した「破壊と建設」しか言葉が出てこない哀れな人物となっている。部下の安東が会社の理屈の中でしか考えて行動出来なかったのと同じく友兼社長も自分が生まれ育ってきた戦後日本の価値観の中でしか考える事が出来ない人物であった。
前作の『ゴジラvsキングギドラ』で戦後日本を復興させた新堂会長が命を落としたが、続く本作ではその戦後日本の復興の限界が示される事となった。
劇中で友兼社長が小美人のコスモスを丸友グループのイメージキャラクターにしようとして批判を浴びたが、実際の小美人コスモスはこの時期のゴジラシリーズのイメージキャラクター的な存在となっていった。
本作の小美人であるコスモスは今から1万2千年前にモスラを地球の守り神と崇め、差別も争いも無い高度な文明社会を作っていたが、一部の科学者が気候を自由に操る装置を作り出した為に地球生命の怒りを買い、地球生命が出現させたバトラに気象装置を破壊された事で大洪水が起こって大陸が海に沈んでしまったと言う設定。
怪獣を崇めていた古代文明が海に沈んでしまうと言う設定は『海底軍艦』のムウ帝国や『ゴジラ対メガロ』のシートピア海底王国を思い出す。又、気象をコントロールする技術の開発は『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』を思い出す。
「地球もそれ自体生きている生命体」と言う設定は『ウルトラマンG』を思い出させ、地球を守る為に怪獣が人間を攻撃すると言うバトラの設定は平成ガメラシリーズや『ウルトラマンガイア』に通じるものがあった。この辺りは環境問題が叫ばれた90年代ならではの共通点と言える。
「破壊本能だけのバトルモスラ」ことバトラが登場。
全体的に黒くてトゲトゲなデザインが戦闘的で実に格好良い!
『モスラ対ゴジラ』では幼虫モスラが二体がかりでゴジラと戦ったが本作ではモスラとバトラの二体でゴジラと戦う形になっている。
最初の太平洋でのゴジラとの戦いではモスラとバトラが共闘しなかったので三つ巴の形になったが、幼虫のモスラも幼虫のバトラも一対一の戦いでもゴジラ相手に善戦していたので、幼虫状態でもモスラとバトラが力を合わせて二対一にすればゴジラに勝てた可能性は高い。
名古屋の場面ではバトラがいきなり地中から現れたので建物の中に人が残っていたり避難している人のすぐ近くをバトラが暴れていたりしていて、横浜中華街の場面でもモスラとゴジラの戦いに巻き込まれる人がいたりと全体的に避難が間に合わなくて多数の犠牲者が出ていそうな感じになっていて怖かった。
主人公の拓也が小美人のコスモスを誘拐して外国の研究組織に高値で売り飛ばそうとしたのは驚いた。傷付けない事を条件にしていたが、やっている事は安藤より危険かもしれない。拓也は誘拐した小美人のコスモスを入れたカゴと娘の写真を並べていたが、どういう気持ちで並べたのか聞きたくなる。
拓也の目的は「妻とよりを戻して娘と再会する」なのだが、その為に小美人のコスモスを誘拐し、それを妻と娘に見抜かれて、まだ幼い娘から面と向かって「パパ。みどり、泥棒さんの子供なんて嫌よ」と言われてしまうと言うゴジラシリーズでもトップクラスにエグい状況に陥ってしまった。
本作はゴジラシリーズの中でも特にファミリー向けの作品だと言われているが、主人公が罪を犯したとハッキリ言及されると言うファミリー向け作品ではかなり尖った内容となっている。
小美人のコスモスが解放されたので東京に上陸したモスラは帰ろうとするが自衛隊の攻撃を受けてしまう。これだけ見ると自衛隊が余計な事をしたように思えるが、よく見るとモスラは帰る時もその巨体で建物を破壊しているので、自衛隊が攻撃するのもやむを得ないところがある。
「怪獣にはリアルな生物感が必要」と言う話を聞く事があるが、本作のモスラは生物的なリアル感は薄くて漫画やアニメのキャラクターのような姿になっている。
本作は主人公の職業もトレジャーハンターと言う漫画やアニメのような設定になっていて、全体的にリアルさよりも漫画やアニメを見ている子供達に受け入れやすいように作られている感じがある。
直接の関係はさすがに無いと思うが、本作の漫画やアニメっぽい感じは90年代後半に始まる『ポケットモンスター』や『デジタルモンスター』と言ったゲームやアニメを中心にヒットした怪獣(モンスター)作品に通じるものを感じた。
富士山の火口からゴジラが出てくる場面は迫力満点でゴジラシリーズでも上位に入る格好良さとなっている。
ゴジラが1500度もあるマントルの中を進んだと言う展開に驚いたが、よく考えたら1984年の『ゴジラ』で三原山の火口に落とされても次の『ゴジラvsビオランテ』では無事に出てきているので、その時点でゴジラは火山に落ちても死なないと言う人間の常識を越えた生物だったと言える。
友兼「南の島といい……富士山といい……。なんで……、なんでウチだけがこんな酷い目に遭わされるんだ……」、
安藤「地球が怒ってるんです」、
友兼「頭、どうかしたのか、お前?」、
安藤「どうもしてません。どうかしているのはあなたの方です!」、
友兼「クビだ。とっとと出て行けぇ!」、
安藤「言われなくても出て行きます。どうせこの会社は潰されます。地球の生命を粗末に扱い、危険にさらした罪で!」、
友兼「地球の生命だと? 怒りだと? それがどうした! そんなもの……、そんなものー!」。
安藤は会社に縛られている人間だったが、その会社の破滅を理解出来たからこそ、会社に縛られていた今までの考えから脱却する事が出来たのかな。一方の友兼は会社が潰れるであろう状況になっても安藤へのクビ宣告だったりと最後まで会社から離れて考える事が出来なかった。
ゴジラとメーサー部隊の戦いは光線をメインにしていて新時代を感じた。
本作はゴジラだけでなくモスラとバトラも光線を連発していて、肉弾戦が中心だった昭和時代との差別化になっていた。(そして光線技メインの戦いだったので、モスラの鱗粉によってゴジラの放射熱線が分散されて無効化され、逆にバトラの光線が必中となった事で大勢が決する事となった)
怪獣作品を昭和から見続けると怪獣が光線を撃ちまくる姿に違和感を覚えるかもしれないが、本作の公開当時は『ドラゴンボール』のヒットによって戦いがある作品では光線技による戦いが一つの主流になっていたので、怪獣達が光線技を多用するようになるのもこの時代ならではと言える。
モスラと違ってバトラは繭を経ないで幼虫から成虫になったが、出来ればバトラも繭の状態を見てみたかったなぁ。
モスラとバトラは肉弾戦に不向きな蛾の怪獣なので空中でガッツリとぶつかって肉弾戦を展開したのには驚いた。
バトラがモスラを助ける場面は盛り上がった。
自分はこういうちょっと怖そうなキャラが主役キャラを助ける場面が大好きだ。
本作は観客がモスラやバトラに感情移入するように作られているので、今回のゴジラは最初から最後まで敵役・悪役と言う平成VSシリーズでは意外と珍しい立ち位置になっている。
『三大怪獣 地球最大の決戦』や『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』のように人間に分かる言葉にはしていないが本作ではモスラとバトラが地球の危機への対処について相談すると言う怪獣同士のコミュニケーションが描かれた。
この流れは次作の『ゴジラvsメカゴジラ』でゴジラがベビーゴジラ相手にする事になり、平成VSシリーズ後期のメインドラマの一つとなっていく。
「ゴジラを倒して海に運ぼうとするがゴジラからの反撃を受けて一緒に海に落下してしまう」と言う決着が前作の『ゴジラvsキングギドラ』と全く同じだったのはちょっと残念だった。
本来ならバトラは20世紀最後の年に地球に落下する大隕石を破壊するのが目的だったのだが、モスラがその使命を引き継ぐ事になる。
20世紀最後の年に地球の生命を奪うような大隕石が落下すると言うのは「ノストラダムスの大予言」をイメージしたものかな?
※「極彩色の大決戦」と言うキャッチコピーが好き。
