帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズとゴジラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『ゴジラvsメカゴジラ』

ゴジラvsメカゴジラ
1993年12月11日公開
脚本 三村渉
特技監督 川北紘一
監督 大河原孝夫

 

ゴジラシリーズの第20作で平成VSシリーズの第4作。

 

ゴジラ誕生20周年記念映画」に登場したメカゴジラが「ゴジラ生誕40周年記念映画」である本作に再登場する事となった。
ただし、『ゴジラvsキングギドラ』や『ゴジラvsモスラ』が過去のキングギドラモスラの登場作品のリメイク的な側面があったのに対し、本作はオマージュされた場面がいくつかあるものの過去のメカゴジラ登場作品とは大きく違った内容となっている。

 

脚本を三村渉さんが担当した事で平成VSシリーズでは初めて大森一樹さんが関わらない作品となったが、キングギドラの残骸からメカゴジラが作られたり三枝未希が続投したりとストーリーや設定は続いたものとなっている。

 

メカキングギドラの残骸が映し出されてから、
「1992年。日本政府は止まる事を知らぬゴジラの被害に国連G対策センターを筑波に設立。世界中の叡智を日本に集め、対ゴジラ用戦闘マシーンの開発に着手した」、
ダンダンダンダーン……、
「まず一号機ガルーダを試作。だが、ガルーダは優れた飛翔能力に比べ戦闘能力に大きな課題を残し、より強力な二号機の開発を迫られたG対策センターは海底からメカキングギドラを引き揚げ23世紀のロボット工学を徹底的に解明・分析。さらに、これまで考案された幾多の対G兵器、その技術と経験を活かして、今ここに史上最強最高の対ゴジラ用戦闘マシーンを誕生させようとしていた」、
ダダンダダン! ダダンダダン! ファーファ、ファファファー、ファファファファファファーファ……、
と格納庫のメカゴジラをバックにバーンと『ゴジラvsメカゴジラ』のタイトルが表示されるオープニングが実に格好良い。小林清志さんの落ち着いたナレーションが逆にこちらのテンションを上げてくれる。
本作のオープニングは相次ぐゴジラによる被害、三枝未希の存在、メカキングギドラの残骸とこれまでの作品に登場した要素を集結させたまさに続き物の平成VSシリーズだからこそ出来たゴジラシリーズでも屈指の名オープニングであった。

 

本作のメカゴジラはメカキングギドラを解析・分析して作られている他、スーパーX2に使われた人工ダイヤモンドでコーティングされている等、これまで登場した対ゴジラ兵器の総決算となっている。
昭和のゴジラシリーズでは地球侵略を企む宇宙人の兵器だったメカゴジラを人類側の兵器にすると言う大胆な設定変更に驚くが、既に『ゴジラvsキングギドラ』でキングギドラをメカにして人類側の兵器にした前例があるので、その流れを考えると納得出来る。
かつて核実験でゴジラを生み出してしまった人類がその対策として今度はロボット工学を駆使して新たなゴジラを作り出してしまうと言うのが人間の業を描き続けるゴジラシリーズならではであった。

 

東宝特撮怪獣映画に登場する人類側の超兵器はかつては轟天号やムーンライトSY-3やスーパーXと言った戦闘機や空飛ぶ戦艦だったのだが本作以降はモゲラや機龍と言った人型のロボットが増えていった。この流れは後にウルトラシリーズでも起きていて、防衛隊の超兵器はかつてはジェットビートルやガッツウイングと言った戦闘機がメインだったのだがニュージェネレーションシリーズからはセブンガーやアースガロンと言った二足歩行の巨大ロボットが増えていった。

 

ゴジラシリーズの主人公は大きく分けて「社会的な職業や地位に就いている優等生タイプ」と「アウトローだがバイタリティがある問題児タイプ」の二種類がある。
本作の主人公である青木は国連G対策センターの対G戦闘マシーン一号機ガルーダの開発責任者で左遷後もGフォースメカゴジラのメンテナンス要員と言う肩書きだけ見れば優等生タイプなのだが講義中に居眠りするわプテラノドンの卵の写真を撮りに無断で施設の中に入るわ五条を気に入ったので接点を作る為に古代植物のサンプルを盗むわとかなりの問題児タイプだった。
主人公が失敗を繰り返して左遷させられても作品が暗い雰囲気にならなかったのは青木のキャラクターに依るところが大きい。駐車場係に左遷させられても次の場面では既にガルーダを使ったメカゴジラの機敏性の問題解決案を出すポジティブさは是非とも見習いたいものだった。

 

ゴジラ迎撃の専門組織であるGフォースが登場。
平成VSシリーズのようにゴジラが何度も日本に上陸している設定だとゴジラ専門の組織が作られるのも納得。
これまでも自衛隊の中にゴジラ対策チームが作られていたがGフォースは国連の組織で日本人以外の隊員もいると言うかつての地球防衛軍のような組織となっている。
Gフォースの登場によって世界観が現実の世界から大きく逸脱する事になったがメカゴジラやモゲラと言った超兵器を出しやすくなったので長期シリーズとなった平成VSシリーズを続けていくには必要な設定だったと思う。

 

Gフォースは国連に属する組織で外国人もいて英語が使われているとリアリティのある描写になっているが一方でガルーダ開発の責任を負わされた青木が入隊させられてトレーニングを受ける経緯はやや強引でコミカルな描写になっている。

 

ラドンの再登場によって『三大怪獣 地球最大の決戦』で「三大地球怪獣」とされたゴジラモスララドンの全員が平成VSシリーズに復活した事になった。
空の大怪獣ラドン』でラドンの卵が登場しているので劇中の人物だけでなく観客もゴジラザウルスの卵をラドンの卵だと誤認するようになっていたミスリードが上手かった。
大前博士はラドンを見て「プテラノドンが巨大化したラドンだ」「核の影響か何かでゴジラと同じ事がプテラノドンにも起こったんだ」と言っているが、平成VSシリーズの世界では現代にラドンが現れたのはこの時が初めてだと思われるので、大前博士が既にラドンの存在を知っていたと言う事は恐竜時代にも通常のプテラノドンから何らかの理由で巨大化したラドンがいたと言う事なのかな。

 

アドノア島の場面は1960年代中盤の東宝特撮怪獣映画によく出てきた怪獣島っぽい感じで懐かしかった。(今回は南の島ではなくてベーリング海にある島だったが)
昭和で怪獣島が出てきた頃のゴジラはちょっと大人しくなっていたが本作のゴジラはまだバリバリに暴れ回っているので、建物のような隠れる場所が無い島でゴジラに狙われて怪獣達の戦いに巻き込まれるのはかなり怖い。

 

アドノア島でのゴジララドンの戦いはラドンが体当たりやクチバシを使って攻撃し、ゴジラも尻尾でラドンを叩き落とそうとしたり近付いたラドンの首を両手で絞めたり地面に倒れたラドンを足で踏みつけたりと平成VSシリーズでは珍しい肉弾戦が繰り広げられて新鮮だった。

 

精神開発センターにいた三枝未希の後輩を演じているのは前作の『ゴジラvsモスラ』で小美人のコスモスを担当した今村恵子さんと大沢さやかさん。なので、この二人は双子じゃないのに二人同時に喋っている。

 

精神開発センターの細野所長役である高島忠夫さんが青木役の髙嶋政宏さんに向かって「君は?」と尋ねる場面は思わず「フフッ」と笑みがこぼれた。このような親子共演が見られるのは長期シリーズの楽しみの一つ。

 

大前博士によると「ゴジラザウルスはゴジラじゃない。元々は大人しい雑食性の恐竜なんだ」との事だが、裏を返せばそんな大人しい恐竜を人間はゴジラに変えてしまったと言う事になる。

 

メカゴジラの発進シーンは何度見ても盛り上がる!
個人的には巨大ロボットの発進シーンは工程が多いほど好き。
本作を見て改めて思ったが、やはり伊福部サウンドは最高である。

 

鈴鹿サーキットだったり京都だったり千葉マリンスタジアムだったりと本作は今までとはちょっと違った所が破壊されていて印象に残った。

 

メカゴジラは「歩く」ではなく「ホバリングで移動」なのが生物ではないロボットならではで良かった。

 

殆ど完敗状態だったところから体内放射を利用してショック・アンカーを通じてエネルギーを逆流させてメカゴジラを倒したゴジラ。体内放射は相手がゴジラの体に触れていれば大ダメージを与えられるので逆転の一手や切り札的な使われ方をされる事が多い。
平成VSシリーズのゴジラはどんな危機に陥っても放射熱線と体内放射が相手に当たれば形勢逆転の可能性を常に持っている。それを考えるとゴジラに放射熱線を吐けなくさせた抗核バクテリアを開発した白神博士の凄さが改めて分かる。

 

ゴジラ作品を作る上で意外と難しいと思われるのがゴジラの行動に理由を付ける事で、一作目の『ゴジラ』のように人間には全く理解出来ない謎の存在だったらゴジラがどのような動きをしても構わないのだが、1984年の『ゴジラ』以降は「核施設を狙う」等のように人間がゴジラの行動理由を色々と分析してしまったのでゴジラに理由の無い動きをさせずらくなってしまったところがある。(例えば1984年の『ゴジラ』では「ゴジラは核施設を狙う」と説明してしまったので終盤で核施設の無い東京をゴジラが襲撃した理由が分からなくなってしまった)
今回は『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でミニラがゴジラを呼んだようにベビーゴジラゴジララドンを呼び寄せているとしてゴジララドンの行動に理由を付けていた。

 

Gフォースの施設でのベビーと青木と五条の場面は人間と怪獣の共存として『怪獣総進撃』の怪獣ランドを思い出す。

 

ミニラが擬人化による可愛さだったのに対してベビーゴジラは動物的な可愛さとなっていた。

 

ゴジラゴジラザウルスの腰部に第二の脳があると言う設定は『ゴジラの逆襲』のアンギラスに倣ったものなのかな?

 

青木「あいつ(ベビーゴジラ)も苦労するよな。6500万年ばかり遅く生まれたばかりに……」、
五条「それか、早すぎたか……。だって、恐竜時代は1億5000万年も続いたのよ。人類の歴史はたかだか200万年。また恐竜時代が来たっておかしくないでしょ」。
現在の人類の時代の後に再び恐竜の時代が来るかもしれないと言う考えは斬新で驚きだった。実際、平成VSシリーズの世界ではわずか10年で二体目のゴジラモスラ、バトラ、ラドン、ベビーゴジラが出現しているので、このペースで古代の恐竜や怪獣が出現し続けていったら人類の時代は終わりを迎えて地球は再び恐竜や怪獣の世界になっていた可能性はある。

 

ガルーダとメカゴジラが合体してスーパーメカゴジラになるのは『機動戦士Zガンダム』のスーパーガンダムが元ネタかな。

 

アドノア島でゴジラに倒されたラドンがファイヤーラドンにパワーアップして復活する。
ゴジラvsモスラ』ではモスラも光線を吐くようになったがラドンもファイヤーラドンになる事で熱線を吐けるようになった。

 

メカゴジララドンが強いと言う事なのだろうが今回のゴジラはやたらと吹っ飛ばされている気がする。

 

大前博士は落ち着いた人物だったので、ベビーゴジラと一緒に五条が閉じ込められているコンテナによじ登って素手で開けようとしたらGフォースの人に「下がって!」と言われて降ろされるのは意外で驚きだった。

 

メカゴジラによって一度は第二の脳を破壊されて倒されたゴジラだったが、瀕死だったファイヤーラドンがベビーゴジラを守る為にゴジラに覆い被さってエネルギーを与えた事でゴジラは復活する。このゴジラとファイヤーラドンの融合はメカゴジラとガルーダが合体してスーパーメカゴジラになったのと対になっている。
ここからのファイヤーラドンの粉でメカゴジラの装甲が溶け、ゴジラが初めて赤い熱線を吐き、佐々木指揮官が「もう何をやっても無駄だ! 奴を止める事は出来ん!」と叫び、Gフォースの司令室があまりの事態に沈黙してしまう展開は怪獣と言う存在の強大さ底知れ無さを人類に存分に見せつけたものとなった。

 

三枝未希はゴジラ寄りの人物と言うイメージがあるが実は本作の中盤まではゴジラを人類にとって脅威と見ていて、卵から孵ったベビーゴジラに対しても、五条、青木、大前博士はすぐに警戒を解いたが三枝未希だけは中々警戒を解けていなかった。
そんな三枝未希も大人しくて人に懐いているベビーゴジラと接する事で少しずつ変わっていき、ベビーゴジラを囮に使うGフォースの作戦に対して「今まで私はゴジラと戦う事が人類に貢献する事だって信じていた。でも、今はそんな気持ちになれない」と語るようになり、実際、Gクラッシャーでゴジラの第二の脳を破壊する事を一度は躊躇した。
これまでの三枝未希は超能力を使って物語を進める役割だったが、本作中盤からはベビーゴジラゴジラに感情移入してしまうが超能力者としてゴジラを倒すと言う人類の希望を担う事にもなってしまったと言うジレンマに苦しむ人物となり、平成VSシリーズ後期のドラマやテーマを背負う役割となった。

 

1984年の『ゴジラ』以降のゴジラは林田博士や新堂会長以外の人にとっては単なる脅威の存在だったのだが、ベビーゴジラの存在によって三枝未希や五条の考えが変わり、ゴジラと戦った佐々木指揮官も「ゴジラには何としてでも守らなければならないものがあったんだ」と呟くようになった。そして観客も本作での常にベビーゴジラの事を気にかけているゴジラの姿に親しみを覚えるようになった。
五条が三枝未希に向かって「ベビーがあなたを変えたのね」と言っていたが、ベビーゴジラは観客を含め多くの人のゴジラへの印象を変える存在となった。

 

今回のベビーゴジラとの関係を見ると五条は『ゴジラvsデストロイア』にも出てほしかったが、本作の最後で五条が三枝未希にベビーゴジラゴジラのところへと向かわせるように頼んだところで五条の役割は三枝未希へと引き継がれたのかな。

 

ゴジラはミニラやベビーゴジラと言った守るものが出てくると親属性が生まれて感情移入しやすい存在になる。
ゴジラを感情移入出来る存在にする事自体が嫌な人もいると思うが、一作だけならともかく昭和シリーズや平成VSシリーズのように続き物になったら主人公を観客が感情移入しやすい存在にさせていくのは当然の流れで仕方の無い事かなと思う。

 

ゴジラに破壊されたメカゴジラのコンピューターが「生存者なし」と報告するが、それを見た佐々木指揮官は「お生憎様。誰も死んじゃないよ」と答える。
そう言えば本作ではネームドキャラで死んだ人がいないのかな? この辺りも本作のゴジラが観客が感情移入出来る存在になった理由の一つかもしれない。(実は劇中の新聞を読むとゴジラが京都を破壊した時にかなりの犠牲者が出ているのだが、一時停止してよく読まないと分からないようにされている)

 

終わってみたら実はGフォースゴジララドンも誰も悪くない戦いであった。
自分が子供の頃はGフォースは悪い人達の組織と言うイメージがあったが、振り返ってみたら彼らは人類を守る為に怪獣と戦っているだけで悪い事は一切していなかった。麻生司令官辺りは極悪人のイメージがあったが、私腹を肥やしたり部下や民間人を犠牲にしたりする事は無くて、逆にベビーゴジラと一緒に囮作戦に参加すると言った五条を止めようとしたりしていた。
本作は「物語上はGフォースゴジラも悪くないが観客はゴジラに感情移入してほしい」と言うちょっと捻った作りになっているのだが、麻生司令官の存在によって「物語上はGフォースは悪くないが、観客がゴジラに感情移入する為にGフォースは観客に受け入れられない組織になる」が成立している。これはもう麻生司令官を演じた中尾彬さんの存在が大きい。ゴジラに感情移入させる為にGフォースを悪役にするのなら不正を行ったり部下や民間人相手に理不尽な事をすれば簡単に済む話なのだが、中尾彬さん演じる麻生司令官はそういう安易な言動は使わないで雰囲気だけでしっかりと本作における悪役をやりきった。

 

海に帰っていくゴジラとベビーゴジラを見送って三枝未希は「さようなら、ベビー。さようなら、ゴジラ……」と呟く。
実はハリウッドでゴジラの映画が製作される予定だったので平成VSシリーズは本作で終了する予定だったらしい。もしそうなっていたら、昭和のゴジラシリーズが『メカゴジラの逆襲』で一人寂しく海に帰っていくゴジラで終わったのに対して平成VSシリーズはベビーゴジラと一緒に海に帰っていくゴジラで終わる事になっていたのかな。

 

※「世紀末覇王」と言う新世紀に入ってしまった現在では使われない肩書きが格好良すぎる。


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