帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズとゴジラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『GODZILLA』

『GODZILLA』
1998年5月20日アメリカ公開
脚本 ディーン・デヴリン ローランド・エミリッヒ
監督 ローランド・エミリッヒ

 

アメリカのトライスター・ピクチャーズが「ゴジラ」のキャラクターを使った「ハリウッド版ゴジラ」。
日本のゴジラ作品と合わせると通算23作目となり、劇中でもニューヨークの23丁目駅が重要な場所となっている。

 

日本のゴジラとのキャラクターの違いから「これはゴジラではない」と言われる本作のゴジラだが、本作はゴジラだけではなく『原子怪獣現わる』を始めとする昔たくさんあった核実験の影響で出現した怪物達を現代の技術でリメイクした感じになっていて、「1954年の『ゴジラ』のリメイク」として見るより「昔たくさんあった怪物映画の現代版」として見た方が理解しやすいところがある。(なので「モンスターパニック映画として見たら面白い」と言う評価になる)

 

日本のゴジラシリーズではゴジラを一応は生物であるが生物の枠を超えた神話の存在に近いところもあると言う扱いになっているが、本作ではゴジラをあくまで生物として扱っていて、餌で誘き出されたり卵を産んだりしている。
ゴジラの無性生殖をニューヨーク知事が「処女懐妊」と茶化して皆が笑ったりするのも本作ではゴジラが神話的なイメージと切り離されているからだと思われる。

 

1954年の『ゴジラ』は東京大空襲をモデルに水爆の恐ろしさを、1984年の『ゴジラ』は冷戦の構図を取り入れながら水爆の恐ろしさを描いているが、本作ではそこまで核の恐ろしさを描いていない。では、本作では何を描いているのかと言ったら自分は「移民への恐怖」なのかなと考えている。
「人種のるつぼ」と言われるほど昔から様々な人種が集まってきたニューヨーク。しかし、表向きはアメリカ人の真似をしているフランス人のフィリップが裏ではアメリカのドーナツやコーヒーに文句を言っているように、「るつぼ」で金属が溶けて混ざるのと違ってニューヨークの街は様々な人種が溶けて混ざり合ったりはせず、それぞれの人種がアメリカに染まらずに存在している。
日本のゴジラシリーズは海からやって来たゴジラや宇宙からやって来たX星人のように「外からやって来た恐怖」を、本作はゴジラがニューヨークで卵を産んでいたり、フランスの諜報員が密かに武器をニューヨークに運び込んでいたりと「自分達の知らない間にアメリカに染まらないもの達が街に定着していた恐怖」を描いている。
クライマックスに登場するベビーゴジラの場面がゴジラ作品らしくないと言われるのは分かるし自分もそう感じているのだが、本作のテーマが「移民への恐怖」だとするとクライマックスに一番の恐怖として「ニューヨーク生まれのゴジラ二世達が街に解き放たれたら以前からニューヨークに住んでいた人間達は駆逐されてしまう」と言う展開が出てくるのはなるほどと理解出来る。
そう考えるとゴジラが誕生した核実験がアメリカのものからフランスのものへと変わったのも「「人種のサラダボウル」となった今のアメリカには人種と一緒に様々な問題も国外から持ち込まれるようになった」だと捉える事が出来る。

 

本作の主人公はタトプロス博士になっているが実は彼は『キングコング対ゴジラ』の重沢博士に近い「説明キャラ」で、実際に物語を動かしているのはヒロインのオードリーとなっている。
オードリーは「お人好しが損する街」であるニューヨークで何もかも上手くいっておらず、追いつめられた彼女は再会した元彼氏のタトプロス博士を騙してゴジラの情報を得て出世しようとしてしまう。しかし、自分勝手な行動でタトプロス博士を困らせてしまったオードリーは反省し、最後は命を賭してゴジラの真実を伝えてニューヨーク市民とタトプロス博士の名誉を救う事になる。
タトプロス博士が女性相手に緊張するところを除けば最初から能力が高くて完成された人物なのに対してオードリーは色々と未熟だったのが事件を通して覚悟を決めるようになると本作は「オードリーの成長物語」として見るとしっくりとくるところがある。(タトプロス博士を中心にして見るとオードリーではなくてチャップマン博士とくっついた方が良いよなとなっちゃう)

 

本作のゴジラはその機動力を活かしてアメリカ軍の攻撃を避けまくっているので「命中させれば倒せる」となってブルックリン橋のケーブルで動きを封じられたところを集中攻撃されて倒されると言う展開は理に適ったものとなっているが、日本のゴジラが自衛隊のスーパーXやGフォースのメカゴジラでも倒す事が出来なかったのを見た後だと「それでゴジラを倒せるんだ……」と思ってしまったところは正直言ってあった。ここは過去作品がある作品の難しいところと言える。

 

ゴジラ作品として見たら「これで終わりなの?」となってしまうところが正直言ってあるが、人間ドラマとして見ると最後は頑張った人は報われて無能な上司はちゃんと報いを受けているので見終わった後の満足度は高い。

 

1954年の『ゴジラ』は全体的にシリアスなのだが本作は全体的にコメディになっていて、おそらくゴジラシリーズの中でもギャグの比率が高い作品になっている。

 

本作は続編映画の予定があったが最終的には作られる事は無くなり、代わりに1999年から2000年にかけて後日談としてアニメの『ゴジラ ザ・シリーズ』が作られた。

 

日本でゴジラシリーズが休止していた1970年代後半から1980年代前半にかけてアメリカではレベルの高い特撮が使われた映画が何本も作られて、日本で平成VSシリーズが展開されていた1990年代前半もCGを使った『ジュラシック・パーク』が公開されていたので、かねてより自分はハリウッドの予算とスケジュールと技術を使ったゴジラ作品を見たいと思っていた。まぁ、姿形が違っていてゴジラと言うより大きい恐竜になってはいたが、「巨大な何かが迫ってくる」「巨大な怪獣がニューヨークに上陸する」「巨大生物がニューヨークを破壊していく」の場面は今見てもワクワクする。
あと、予告編がマジで良いです!

 

GODZILLA (字幕版)

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