帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズとゴジラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『ゴジラ2000 ミレニアム』

『ゴジラ2000 ミレニアム』
1999年12月11日公開
脚本 柏原寛司・三村渉
特殊技術 鈴木健二
監督 大河原孝夫

 

ゴジラvsデストロイア』以来4年振りに公開された日本の実写ゴジラ映画第23作でミレニアムシリーズの第1作。
一作目の『ゴジラ』の続編となっていて、昭和ゴジラシリーズや平成VSシリーズとは別の時間軸となっている。

 

平成VSシリーズのゴジラはモスゴジに近いデザインだったが本作に登場するミレゴジはキンゴジに近いデザインになっていて同じゴジラでも差別化がされていた。
ミレゴジは鋭利さを増した背ビレが見事で、個人的に歴代ゴジラの中でもトップクラスに好きなデザインである。

 

「数年振りのシリーズ再開」と言う事で1984年の『ゴジラ』と状況が近い作品。
1984年の『ゴジラ』は過去のゴジラシリーズの他にSFXやVFXを使ったハリウッド作品の影響も受けた作品だったが、本作も直近の平成VSシリーズの他に平成モスラ三部作、平成ガメラ三部作、そして1998年に公開された『GODZILLA』を踏まえた作品となっている。

 

1984年の『ゴジラ』は一作目の『ゴジラ』の続編でありながら1作目の『ゴジラ』のリメイク的な要素も持っていたが、本作は1作目の『ゴジラ』のリメイク的な要素は無くて『ゴジラの逆襲』や『ゴジラvsビオランテ』に近い作りになっている。
ゴジラの逆襲』も『ゴジラvsビオランテ』も以前に出現したゴジラのデータを分析して対策を立てていたが本作でも危機管理情報局(CCI)やゴジラ予知ネットワークが登場している。特に面白いのがゴジラ予知ネットワークの設定で、これまでのゴジラシリーズは基本的に国単位の組織がゴジラ対策を担当していたが、本作ではそれとは別に民間人がネットワークを構築した組織が登場した。この「パソコンの普及によって政府とは別に優秀な民間人が活躍するようになる」と言うのは『ゴジラvsデストロイア』の健吉を思い出すもので新時代感があった。
ゴジラ予知ネットワークはリアリティがあって色々な話が作れそうな設定であったが、映画の尺で政府と民間の二つの組織を描くのは大変だったのか後の作品では見られなかったのが残念。

 

篠田は生物学的に見ればゴジラは特殊な存在で、ゴジラを研究する事は地球に生きる生命の謎を解く鍵になると考えている。この考えは一作目の『ゴジラ』に登場した山根博士に近いものがある。
一方で篠田はゴジラによる破壊は許されないとしてゴジラ予知ネットワークを立ち上げてゴジラの動きを把握する事で被害を最小限に抑えようとしていた。このようにゴジラに関する知識を使ってゴジラによる被害を抑えようとするのは『ゴジラの逆襲』の山根博士や1984年の『ゴジラ』に登場した林田博士に近い。
篠田は片桐に向かって「本当にゴジラを殺せると思っているのか?」と呟いているので、現在の人間の科学力ではゴジラを倒す事は不可能なので今はゴジラの動きを把握して被害を最小限に留めながらゴジラの研究を進めていくしかないと考えているのだろう。

 

本作では篠田の娘のイオが重要人物として登場している。ゴジラシリーズで子供がメインで登場する作品は少なくて、パッと思い浮かぶのは『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』『ゴジラ対ヘドラ』『ゴジラ対メガロ』くらいであろうか。本作でのイオの活躍は子供が物語の中心にいた平成モスラ三部作の影響があるのかもしれない。
怪獣作品に登場する子供は怪獣オタクである事が多いのだが、怪獣による被害が出ている世界に怪獣好きの子供がいるのはちょっと無理を感じるところがある。それを本作のイオは「ゴジラ予知ネットワークで父親のパートナーを務めているのでゴジラに関する知識が十分にある」として「怪獣の知識が豊富な子供」と言う設定を無理無く成立させている。

 

ゴジラ予知ネットワークの設定はリアルで面白かったのだが民間人中心の組織が怪獣の調査をするのは色々と無理があったのか、ゴジラに近付いている時の放射能対策はどうなっているのかとか、自衛隊が対ゴジラ作戦を展開しているのに民間人の篠田達がそんな場所にいて良いのかとか、ミレニアンの宇宙船が占拠しているビルに一之瀬が何の障害も無く入れちゃうのは不自然だとか色々と気になる点があった。(本作はおそらく歴代でもトップクラスに自衛隊が避難の誘導や現場の封鎖の仕事をしていない作品だったと思う)

 

この頃のゴジラシリーズはゴジラと他の怪獣の戦いを一つの売りにしていて本作でもゴジラとミレニアン(オルガ)の戦いがメインの一つとなっている。
元々怪獣とは人間にとって未知の存在であったのだが、ゴジラ、ガメラ、ウルトラマンと言ったシリーズが続いて多くの怪獣が作られた事で「怪獣と言えばこんな感じ」と言うイメージが出来上がって「未知故の恐怖」と言うものが薄れていたところがあった。その点、今回のミレニアンは中盤まではただの岩の塊と言うこれまでの怪獣とは全く違うものとなっていて未知故の得体の知れなさ不気味さがあった。

 

ミレニアンはゴジラ映画では昭和シリーズ以来の宇宙人であるが「長い宇宙航行の為に肉体を捨てた」と言うこれまでとは違った設定を持っていて、目的も「地球の大気を自分達の生存に適したものに変換する」と言う「地球侵略」を現代風にしたものとなっている。
ゴジラシリーズもガメラシリーズも昭和の作品では様々な宇宙人が登場していたが平成に入ると怪獣は新しい設定を手に入れてイメージがアップデートされていったのに対してが宇宙人は再登場が無かったのでイメージの更新が行われなかったところがある。本作に登場したミレニアンによってようやく日本の怪獣映画における宇宙人のイメージが更新出来たところがあるが、残念ながらゴジラとガメラの実写映画に登場した新しい宇宙人は本作のミレニアンが最後になってしまい、徒花的な存在になってしまった。

 

ゴジラの不死身の秘密が解き明かされて「オルガナイザーG1」と名付けられる展開は『ゴジラvsビオランテ』のゴジラ細胞を思い出す。
本作では飛び散ったゴジラの細胞も復元を始めていて、その理由が「オルガナイザーG1は細胞の復元と個体形成の機能を持っているから」と説明されているが、ひょっとしたら、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のように飛び散ったゴジラ細胞から新たなゴジラが次々と誕生する恐れもあったのかな?

 

冒頭にあったゴジラの根室上陸はゴジラシリーズの中でも特に好きな場面。
平成VSシリーズの後期は怪獣バトルがメインになったので人間が怪獣に襲われる恐怖がやや薄れていたところがあったが、本作の根室上陸の場面はゴジラと人間の距離がかなり近くなっていて一歩間違ったら踏み潰されてしまう恐怖があった。この辺りは平成ガメラ三部作や『GODZILLA』の影響があるのかなと思う。

 

本作でゴジラは東海村にある原発を狙うが本作が公開される3ヶ月前に東海村の原発で事故が起きて死亡者が出ている。
本作でゴジラの熱線が青からオレンジに変わったのは東海村で起きた臨界事故とは無関係らしいが、ゴジラの放射熱線が青色なのは臨界時に発生するチェレンコフ光から来ている事を考えたら色々と想像してしまう。
「ゴジラは原発を襲う」は1984年の『ゴジラ』から始まる平成VSシリーズを踏まえたものであるが本作以降は段々と使われなくなっていく。

 

「貫通」を狙ったフルメタルミサイルのアイデアはなるほどと唸った。
想像以上にゴジラの身体がゴリゴリ削られているので、これをしばらく続けたらゴジラを殺せそうな威力があった。
フルメタルミサイルは強力でありながら後の作品では使われなかったが、劇中の描写を見るとちょっと強力すぎるところがあって、派手ではあるが怪獣を死に至らしめるほどではないメーサー殺獣光線車と違ってドラマ的に使いにくかったのかもしれない。(ぶっちゃけ、次作に登場するメガギラスだったら当たり所によっては数発で殺せそうな威力だった)

 

根室のトンネルの場面や東海村でゴジラが海から現れる場面等、『GODZILLA』を踏まえたと思われる場面が見られる。

 

「リベンジ」の為にゴジラが東京に上陸してからの展開は平成VSシリーズに近いものがあって、絵作りも街をバトルステージに見立ててゴジラとミレニアン(オルガ)の位置関係を分かりやすく伝える平成VSシリーズのものとなっている。

 

オルガナイザーG1を得たミレニアンの姿はいわゆる「タコ型宇宙人」となっている。
ミレニアンは実体を得る前の状態でも宇宙船を頭にしてエネルギーやデータを吸収する触手を足にするとタコ型宇宙人の姿になるのが面白い。
GODZILLA』が『ゴジラ』を始めとする怪獣映画のアメリカ版だったならば本作は『宇宙戦争』を始めとする宇宙人映画の日本版と言えるのかもしれない。

 

光線乱舞だった平成VSシリーズや平成モスラ、それまでの怪獣映画には無かった新しい絵を見せた平成ガメラの後に本作のゴジラとオルガの決戦を見るとやはり地味だったのは否めなかった。

 

本作は個性的な役者が多くキャスティングされているので印象に残る言動ややりとりが多かった気がする。
特に印象に残ったのが宮坂役の佐野史郎さんで、終わってみれば実はそれほどぶっ飛んだ人物ではなかったのだが佐野さんの演技で実は黒幕だったのではと思えるほどに色々と深読み出来る人物になっていた。

 

本作は人々がゴジラやミレニアンを調査して対策を立てる展開がメインになっていて人間ドラマはやや薄めになっていたので、篠田のいるビルがブラスト・ボムで爆破されるのを阻止しようとする宮坂の場面が逆に印象に残る事となった。

 

篠田は大学の研究所を辞めた理由を「科学の暴走と言うか人間の自惚れ、それが恐ろしくなって……」と説明しているが、その割にはゴジラの研究は止めないし小学生の娘を自身のパートナーに育て上げてゴジラの調査に同行させる等、「ちょっと抜けた子煩悩なパパ」のように見えて実はゴジラシリーズの中でもアウト寄りな人物だったりする。
ぶっちゃけ、娘のイオがいなかったら研究の為にいつラインを踏み越えてもおかしくはない危うさが篠田には見え隠れしていた。(逆に登場時はマッドサイエンティストに見えた宮坂の方がその辺りの倫理観はちゃんと持っていた感じがする)

 

多くの怪獣映画では主人公達は見通しの良いビル等で怪獣バトルを安全に見学している事が多くて本作のクライマックスもそうなっているのだが、そこからオルガを倒したゴジラが安全圏であったはずの主人公達がいるビルに迫ってくる展開は怪獣映画を多く見ている人ほど驚かされるパターン破りであったと思う。

 

「ゴジラは……俺達の中にいるんだ……」。
なんか分かるような分かんないような不思議な言葉。でも、考察しがいのある言葉。
個人的には篠田がここで言った「ゴジラ」とは「破滅に向かう力」だと解釈している。篠田はゴジラの危険性を知っていながら娘を連れてゴジラの調査を続け、最初は怪獣の調査を嫌がっていた一之瀬もいつの間にかミレニアンの宇宙船が占拠するビルに単身乗り込むようになり、ミレニアンはゴジラを分析してその危険性も分かっていながらオルガナイザーG1を得て、ゴジラ打倒を目指す片桐は丸腰の状態でも真正面からゴジラに向かって宣戦布告の叫びを上げる等、本作の登場人物はその殆どが破滅へと向かっている。
最終的にオルガも片桐も命を落とし、新宿は火の海となり、あのままでは篠田達も無事では済まないとなったところで本作は幕を下ろす。基本的に日本の怪獣作品はどんなに人間の愚かさを見せて絶望的な状況に陥っても最終的にはいくつかの希望を見せて人間が生き続ける事を示す事が多いのだが、本作は全ての人間の中に「ゴジラ」と言う「破滅に向かう力」がある事を示して絶望のまま物語を終わらせた。

 

本作はシリーズ再開一作目であるが全体的に観客に優しくない作りになっている。
例えば一作目の『ゴジラ』と本作がどのように繋がっているのかは不明で、初代のゴジラと本作のゴジラの関係も語られていない。篠田が娘と二人でゴジラ予知ネットワークを立ち上げた経緯や片桐が最後にゴジラと真正面から対峙した心情等も観客が想像するしか無い。本作のゴジラは人間が作ったエネルギーを憎んでいると説明されているがゴジラが人間が作ったエネルギーを憎む理由も謎のままだったりと作品の基本部分が観客に説明されないまま物語が進むので、シンプルな構図で比較的ゆっくりなテンポなのに観客はどこか置いてけぼりを感じてしまうところがあった。
本作はシリーズ再開一作目だがどちらかと言うと「三部作の二作目」みたいな感じになっている。基本設定が説明される一作目と決着が付けられる三作目が無いので、観客の知らないところで既に人類とゴジラの物語が始まっていて、観客の知らないところで人類とゴジラの決着が付けられると言う感じかな。

 

本作は平成VSシリーズ、平成ガメラ、平成モスラ、『GODZILLA』を踏まえた内容になっていて結果的に1990年代怪獣作品の総決算的な内容となっているが、色々な要素を取り入れた為に一つ一つの掘り下げが浅くなって全体的に物足りなさを覚える感じになってしまったところがある。

 

*本編を見終わった後に見るととんでもないネタバレをしている予告編だ(汗


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