帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズとゴジラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
2001年12月15日公開
脚本 長谷川圭一・横谷昌宏・金子修介
特殊技術 神谷誠
監督 金子修介

 

日本の実写ゴジラ映画第25作でミレニアムシリーズの第3作。

 

ミレニアムシリーズは作品ごとに世界観が独立していて本作も前作の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』と前々作の『ゴジラ2000 ミレニアム』とは違う時間軸の話となっている。

 

本作では監督を平成ガメラシリーズの金子修介さんが担当し、その他のスタッフもこれまでのゴジラシリーズとは違った布陣となっている。その為かこれまでのゴジラシリーズとは違ったところがいくつかあってマンネリを打破した作品となっている。

 

当初はバラゴン、アンギラス、バランが登場予定だったがミレニアムシリーズの不振を受けて人気怪獣のキングギドラとモスラが登場する事となった。
キングギドラとモスラが登場しているからか『三大怪獣 地球最大の決戦』のオマージュが仕込まれていて、オープニングに怪獣の体表のアップが出たり、タイトルに『三大怪獣 地球最大の決戦』の東宝チャンピオンまつり版である『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 地球最大の決戦』が使われたりしている。
三大怪獣 地球最大の決戦』は「金星人」「宇宙円盤クラブ」「予言者」と言った宇宙やSF系のオカルトであったが本作は「護国聖獣」「死んだ人間の怨念」「霊魂」と言った土俗や怪奇系のオカルトとなっている。

 

今までのゴジラシリーズは何だかんだ言ってもゴジラを「生物」と扱っていたが本作は死ぬ事の無いゴジラを「生物」ではなく「残留思念の集合体故に武器では殺せない」と定義した。
本作のゴジラは「太平洋戦争で命を散らした数知れぬ人間達の魂が宿っている」ので「過去の歴史に消えていった多くの人達の叫びや無念を今の人々がすっかり忘れてしまったので日本を滅ぼそうとしている」とした。
これまでもゴジラの不死や日本に上陸する理由について語っている作品はあったが個人的には本作の説明が一番納得出来るものであった。こうして見るとゴジラは科学とは違ったところに存在しているのかなと思える。

 

劇中で語られる「前世紀末、ゴジラに酷似した巨大生物がアメリカを襲った」とは1998年に公開された『GODZILLA』の事。
「アメリカじゃ「ゴジラ」と名付けたが日本の学者は認めていない」と言う台詞があるが、『GODZILLA』ではゴジラをあくまで「生物」として扱っていたのに対して本作ではゴジラを「精神的な存在」として扱っているので、本作で定義されたゴジラ像を基準に考えると『GODZILLA』に登場した巨大生物はゴジラとは認められないとなるのも理解出来る。

 

個人的にちょっと気になったところとして、数年前にニューヨークを破壊した巨大生物がいたのなら日本各地で怪獣の噂が出てきた時点でニューヨークに現れたような巨大生物が日本にも現れたのではないかと人々やマスコミが騒いで政府もアメリカと情報のやりとりをしそうな気がする。
GODZILLA』関連の話はほんの小ネタだったのかもしれないが、「半世紀近くゴジラが出現していないので平和ボケしてしまった日本」と言うのが本作の土台となっているので、『GODZILLA』関連の話はあえて入れなくても良かったかなと思う。

 

BS・デジタルQで働く主人公の立花由里は『ウルトラQ』の江戸川由利子が元ネタ。
因みに金子監督は1980年代に『ウルトラQ』の劇場版を企画したが残念ながら実現には至らなかった。その後、金子監督は2005年に江戸川由利子役の桜井浩子さんが出演する『ウルトラマンマックス』の監督を務める事になる。
スタッフも製作会社も違うが1966年放送の『ウルトラQ』と1990年公開の『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』と本作を見比べると報道の立ち位置やオカルトの扱いが時代によってどのように変化していったのかが分かる。

 

「女に生まれたくなかったなぁ。世間を「あっ!?」と言われるような仕事がしたい。……女だから出来ないって事無いよな。それは逃げだよね」。
由里の言葉通り、前作の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』では女性の辻森がGフォースの隊長を務めている。又、本作の由里も冒頭の仕事こそ取材先の村長からのセクハラに困る場面があったが、護国聖獣を巡る仕事では女性だから困難に遭ったり女性だから事態が好転したりする場面はあまり無かったりする。

 

「アメリカじゃ魔女伝説の映画が大ヒットして舞台の村は世界的に有名になった」は1999年公開の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の事だと思われる。
今回のゴジラ映画は怪獣が登場しているが話の作りはホラー作品に近いところがある。今回は平成のゴジラ映画では珍しく人間が怪獣の犠牲になる場面が多いが、これらはホラー作品で描かれる「不敬な人間やイキった人間がお化けや怪物に無残に殺される」の怪獣版と言える。なので、1954年公開の『ゴジラ』では「お父ちゃまのそばに行くのよ」の母子のように善悪の区別無く多くの人がゴジラの犠牲となったが本作では怪獣の犠牲になるのは基本的に悪人だったり不敬な人間になっている。

 

篠原ともえさん演じる女性がゴジラに何度も襲われるがこちらも友達との「殺しちゃ可哀想だよね。罪の無い動物なのに」「保護して飼ってみたらどうかな」のやりとりが怪獣に対する不敬だと見なされたと考えると腑に落ちる。
因みに本作の公開と同時期に「怪獣保護」を謳った『ウルトラマンコスモス』が放送されていたが同じ「怪獣」でも本作はヤマタノオロチや狛犬やダイダラボッチのような「神獣・霊獣」に近い扱いで『ウルトラマンコスモス』は「巨大な生物」として扱っていた。なので、本作では「神獣・霊獣である怪獣を人間が「飼う」と考えるのは不敬」となり、『ウルトラマンコスモス』では人間の都合で怪獣と言う生物を排除していく事に疑問が呈される事となる。

 

怪獣同士の戦いが始まると街から人間がいなくなって街をバトルステージにした格闘ゲームのような感じになる事があるが本作は常に怪獣と人間が同じ場所にいて怪獣によって人間がどんどん犠牲になっていく。これは平成ガメラシリーズに近い作りで平成VSシリーズやミレニアムシリーズに慣れてるとかなり驚かされる。
ゴジラシリーズは『キングコング対ゴジラ』で既にバトルステージの街の中で怪獣が戦う感じになっていたので、本作の怪獣同士の戦いはその前の『ゴジラの逆襲』にあったゴジラとアンギラスの戦いが一番近いのかな。(そう考えると本作で当初はアンギラスが登場予定だったのもなるほどとなる)

 

ゴジラとアンギラスの戦いは「体格差のある怪獣の戦い」となっていて、まともに戦ったら大きいゴジラが有利なので小さいアンギラスは地面に穴を掘って相手を転ばせたり高い所から相手に飛びかかったりして体格差を埋めようとしていた。
着ぐるみで体格差を使った戦いは作るのが難しいのか、こういう戦いはゴジラシリーズではあまり無かったので新鮮だった。

 

本作ではゴジラ、モスラ、キングギドラの立ち位置が従来と大きく変えられた。
キングギドラの「今から五千年前に金星を滅ぼした」やモスラの「南海の孤島で崇められている存在」と言った従来の設定を本作では「護国聖獣」と言う設定に上手くまとめている。キングギドラの元ネタに『日本誕生』のヤマタノオロチがあるので今回の「千年竜王」の設定もなるほどとなる。ただ、どうしてもキングギドラやモスラは宇宙怪獣や小美人と言った従来の設定が有名で印象深いので「上手く設定を変えた」と言うより「強引に設定を変えた」と言う感じは受けてしまった。当初からアンギラスやバランと言った過去作に登場した怪獣の設定を変えて登場させる予定だったようだが個人的には「護国聖獣」と言うこれまでのゴジラシリーズには無かった設定だったのでここは新しい怪獣を作った方が良かったかなと思っている。

 

「まだ二千年しか経っていないとすると不完全体かもしれない。ギドラは成長が遅いとされている。完全体になったら最強の怪獣だ」は『モスラ3 キングギドラ来襲』を思い出す設定。

 

魏怒羅が千年竜王として覚醒したのを見て由里が思わず「キングギドラ」と呟く場面は『ゴジラ対メカゴジラ』で沖縄の守護神であるキングシーサーの名前に英語の「キング」が使われている事のフォローになっている感じがして個人的に好きな場面。

 

テイストはかなり違うが殆ど全ての人間ドラマを「怪獣出現に対してこの人はどう動くのか?」で描いているところは後の『シン・ゴジラ』に近いところがあると言える。

 

ゴジラシリーズでは知名度のある人がワンシーンだけ登場する事が昔から度々あるが本作はそれが特に多く感じられた。
どの人も個性が際立っているのでワンシーンだけの登場でもその人がどういう人物なのか分かる感じになっていて作品に深みが出たと思う。
ただ、モスラを見つめる前田愛さんと前田亜紀さんの姉妹の場面は意味深すぎたのでワンシーンだけの登場で終わらせずにもう少し説明のある役にしても良かったかなと思う。

 

本作の同時上映は『とっとこハム太郎』。
いや、まぁ、ミレニアムシリーズの成績が予想を下回っていたので何か対策が必要だったのは理解出来るが、さすがに本作と『とっとこハム太郎』は作風が違いすぎた。
本作は「子供達のトラウマ」として有名だが、最初からゴジラ作品を見るつもりだった子供が本作を見てトラウマを感じてしまうのは仕方の無い事だと言えるが、『とっとこハム太郎』目当ての子供が同時上映の本作を見てトラウマを植え付けられるのは問題だと思う。
もし、ある子供が10歳くらいにゴジラと出会っていたらゴジラを好きになっていた可能性があったが、5歳の時に『とっとこハム太郎』目当てだったのに同時上映の本作を見てゴジラにトラウマを持ってしまったので以降もゴジラ作品を見る事が無くて当然ゴジラを好きになる事も無かったと言う恐れは十分にあったと思う。
元々自分は子供達に強引に怖いものを見せてトラウマを植え付けようとするのが好きではないが、ゴジラシリーズとしてみてもゴジラに対して必要の無いトラウマを子供達に植え付けていくのはその時は話題になったとしても数年後にゴジラシリーズ自身を苦しめる事になると思う。
それはそれとして「ゴジハムくん」は可愛くて好きだし、「ゴジラの口からハム太郎が顔を出しているように見える」と言うのも面白くて好きなのだけれどね。

 

それにしても本作の「白目ゴジラ」のインパクトは凄かった。黒目を無くすだけでここまで印象が変わるものなのかと思った。
ミレニアムシリーズの初期3作品はスタッフも作風もそれぞれ違っていたが、ゴジラシリーズはここまで色々と幅広くやる事が出来るシリーズであると言う事がよく分かる3作品であった。

 


www.youtube.com