帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『妖星ゴラス』

妖星ゴラス
1962年3月21日公開
原作 丘美丈二郎
脚本 木村武
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

 

地球防衛軍』『宇宙大戦争』ではミステリアンやナタール人と言った「人」が敵であったが今回は妖星ゴラスと言う「星」が人類への脅威として登場する。東宝特撮映画の中でも最もスケールが大きい敵であったと言える。

 

ゴジラを始めとする怪獣はその進行方向から外れればやり過ごす事も可能なのだが、強大な引力を持つ妖星ゴラスからは逃げる事が出来ない。
序盤の隼号が妖星ゴラスに飲み込まれていく場面は逃げる事が出来ない死を見せつけられてかなり怖かった。

 

人類は『地球防衛軍』で宇宙からの侵略者への監視の為に人工衛星を打ち上げ、『宇宙大戦争』では宇宙人の基地を攻撃する為に月へと向かい、本作では遂に土星探査に向かうようになった。
今挙げた3作に物語としての繋がりは無いのだが、『地球防衛軍』の公開から本作の公開までのわずか5年で宇宙進出の描写がどんどん進んでいっているところに当時の人々が宇宙開発に高い関心を寄せていた事が分かる。

 

この頃の東宝特撮映画は怪獣や侵略者と言った脅威に対して人類が一致団結してすぐさま行動を起こす展開が多いのだが、本作では隼号の死亡事故が政治問題化したり、鳳号の乗員が規律からちょっと離れた若者達だったり、妖星ゴラス対策の予算確保に色々苦労したりと人類全体がまとまって行動するまで時間がかかった。
劇中で河野博士が「人間はいつの時代でもただ目先の事に追われて生きていくように出来ている」と愚痴ったように、ゴジラやミステリアンと言った目の前に現れた脅威と違って妖星ゴラスは一般人の感覚では地球から遙か遠くにある脅威だったので人々がその恐ろしさを実感するのは難しいところがあった。(だからこそ、逆に妖星ゴラスの脅威を間近で体験した金井は記憶を失うほどの恐ろしさを味わう事になる)

 

物語の前半で妖星ゴラスの危機を認めない政治家達を相手に色々と訴えてきた河野博士が物語の後半では妖星ゴラスの質量増大による危機を認めないで南極基地からの訴えを無視するようになるのは驚きだったが、前半では予算を要求する立場だったが後半では若者からの予算要求を「無い袖は振れない」と断らないといけない立場になったと河野博士の立ち位置を途中で変えた事で妖星ゴラス案件が年単位の長い話であった事がよく分かった。

 

結局のところ、南極基地の拡張は認められなかったが、ここで南極基地に追加予算が出されていたら妖星ゴラス接近による地球の被害はもっと抑えられていたのかな……。

 

「今日まで人類の科学は戦争によって発達したと言われております」「今こそ科学は破壊の為ではなく全人類を救う為に全面的に利用されなければならない時であります」と言う河野博士の演説があるので出来ればマグマと言う生物を殺す為に科学が使われる展開は外してほしかったのだが、一方で河野博士は「我々科学委員会はあらゆる障害を乗り越えてこの目的達成の為に努力すべきであると思うのであります」とも言っているので、怪獣マグマを「障害」と考えたら科学でそれを排除する展開は間違ってはいないのかもしれない。

 

怪獣マグマは映画の撮影中に会社からの指示で追加された要素なので作品から浮いているところがあるのだが、ジェットパイプによって南極が暖められて、最終的に地球の軌道が変化した事を考えると、怪獣出現と言う予測不可能な事態が起きるのもありうるのかなと思える。
そう言えばジェットパイプ設置の工事中に大きな陥没事故が発生して原因が判明していなかったが、ひょっとしたら怪獣マグマの覚醒が原因だったのかもしれない。

 

怪獣マグマの場面は外しても作品に支障は無いのだが、怪獣マグマの出現と言う河野博士が予想出来なかった事態によってジェットパイプの一部が破壊されてしまうと言う展開は南極計画が不完全なまま妖星ゴラスが最接近してしまうと言うクライマックスの緊迫感を盛り上げるのに効果的だったと思う。

 

怪獣マグマは当初は恐竜の予定だったらしく劇中でもその名残として姿形はセイウチなのに血液は爬虫類となっている。
恐竜だったら氷河期に南極の氷に生き埋めにされた恐竜がジェットパイプの影響で蘇ったと考える事が出来るが巨大なセイウチだとどのような生態の生物だったのか気になるところ。やはり放射能の影響で巨大化したとかなのかな。

 

怪獣作品におけるミニチュアは基本的に「壊される場面」に使われるものなのだが本作では南極でのジェットパイプ基地建設と言う「作られる場面」に多く使われていた。

 

妖星ゴラス接近による天変地異はさすがの大迫力!
月が妖星ゴラスに飲み込まれる場面は科学的には間違っているらしいが、映像作品として考えると、やはりこういうインパクトのある映像はあった方が記憶に残ると思う。

 

映画の序盤では死を覚悟した隼号の乗員が悲壮な「万歳」をしていたが、映画のラストでは生き残れた事を確信した人々が喜びの「万歳」をしている。

 

本作はマグマと言う怪獣は出るが妖星ゴラスそのものはクライマックスになるまで地球に現れないのでその分人間達の描写に力が入れられているところがあって、人間ドラマの充実度は1960年代の東宝特撮映画の中でも上位となっている。