「星を見つめる人」
『ウルトラマンオメガ』第22話
2025年12月13日放送(第22話)
脚本 根元歳三
監督 越知靖
水棲怪獣ドグリド
身長 52m
体重 6万t
乾燥に弱いので水の近くに生息するはずだが周辺に水源が無い都会に現れた。
レキネスカリバーランダムスラッシュで倒される。
アユ姉は後に発見されたゾヴァラスと同じ反応を示す物体が原因で出現したのではないかと推測した。
甲虫怪獣タガヌラー
身長 60m
体重 5万t
アーデルによって地中から出現した。
アーデルの言葉に混乱するオメガとヴァルジェネスを追いつめるが、最後はヴァルジェネスハルバードインフェルノで倒された。
物語
以前現れたゾヴァラスと同じ反応を示す物体が発見される。
その物体にはコウセイと出会う前のソラトの姿が記録されていた。
今、全ての謎が明らかに……!
感想
いよいよ『オメガ』も最終章に突入となった。
「なんでも新しい組織はデカくてゴッツい武器も開発中で怪獣と戦えるようになるって!」、
「怪獣と対等に戦えるようになっちゃうんですか!?」、
「なっちゃうかもよ! これでウルトラマンオメガも少しは楽が出来るようになるかもね!」。
新しい防衛組織が出来る事について語るマサッさんとレミさん。二人はオメガを自分達の味方だと考えていて、オメガが楽になるのなら人類が強力な兵器を開発して怪獣と対等に戦えるようになる事は望ましいとしている。そして最終回では二人の考えはここからさらに進んで「人類とオメガが通じ合えたように今度は人類と怪獣が通じ合っても良いはずだ」に変わっている。
ウルトラシリーズでは何度か取り上げられている強力な武器の開発について、サユキは「面白くない事」「戦いの道具を作るって言うのは性に合わない」と訴える一方で「やらないわけにはいかない」とも語っている。
人間なので「性に合う・性に合わない」と言う気持ちが出てくるが、個人の気持ちとは別に怪獣と言う人々の命や財産を破壊する存在が出現している状況なので、まずはその目の前の問題に対処しなければいけない。
この「目の前の問題に対処する」と言うのは「今」の話であるが、サユキの話を聞いたソラトは「どうやったら解決なんだ? 人間か怪獣か、どっちかがいなくなれば良いのか?」と「未来」の話を口にする。
今ここにある問題に対処しなければ多くの被害が出る。だが、未来を見据えずに問題に対処し続けても根本的な解決には至らない。「今」に対処しながら「未来」も見なければいけないのだ。
「いつまでもウルトラマンオメガに頼ってはいられない」「地球の問題は地球人で解決しないと」と言うサユキの言葉にソラトは「頼る事がいけない事とも思えない。俺はコウセイに頼りっぱなしだ。だからこそ、力になりたいって思っている」と返す。
ここでのソラトとサユキの話は実はちょっとズレている。ソラトはオメガと人類がお互いに頼りにし合う対等の立場であれば良いと言っている。オメガであるソラトは記憶を失って本来の任務を忘れている事もあって「自分はずっと地球にいる」と考えている。つまり、「今」の状況がずっと続くと思っている。
一方のサユキは人類が自分達の手で怪獣問題を解決出来るようにならないとオメガがいなくなった時に怪獣に対処出来なくなる事を怖れている。つまり、「オメガがいなくなる」と言う「未来」に起きうる変化を考えている。
地球の怪獣問題についてサユキは「今」の話をしてソラトは「未来」の話をしたが、逆にウルトラマンと人類の関係についてサユキが「未来」の事を考えているのに対してソラトは「今」がずっと続くと考えている。
地球に落ちたソラトを助けた「親切な人」が遂に登場。ここから謎が一気に明かされる事になる。
ソラト=オメガの正体は「宇宙観測隊」の隊員であった。
宇宙観測隊はその名の通り多くの星々を見守り観測する存在で、高度に文明が発達した星の文明の発生から滅亡までのあらゆる記録を取って、それを元に未来永劫続く完全なる平和を築こうとしていた。純粋な記録を取る為に対象となる星に侵略者や宇宙怪獣が侵入するのを防ぐのだが、一方で対象となる星の上で起きた事には干渉せず、どんな争いが起きようともどれだけ命が失われようともそれを救おうとはしない。
ウルトラシリーズには「宇宙警備隊」と言う組織があるが、これは最初からガッチリと設定が決められたのではなくシリーズが進むにつれて段々と設定が固まっていったところがあって、今では使われなくなった設定や矛盾等がいくつかある。今回はその宇宙警備隊の設定を矛盾が出ないように整理して令和時代にアレンジしている。
一作目で「ショッカー」と言う組織が前面に出てきた仮面ライダーシリーズはその後の作品でもヒーローの出自がかなりはっきりと語られるのに対して一作目で「宇宙警備隊」や「光の国」について明確な説明をしなかったウルトラマンシリーズはその後の作品でもヒーローの出自を細かく説明しないものがいくつかあったが、個人的には本作や前作『アーク』や『オーブ』のようにウルトラマンの出自はある程度明かしてくれた方が色々と考えやすくて楽しめるところがある。
アーデルの星ゲネスは高度な文明を誇っていたが「目覚めの刻」が訪れて怪獣達が出現するようになってしまった。アーデルの推測によると「目覚めの刻」は人間と怪獣のどちらが星を治めるに相応しい存在か生存競争が始まる時で、生命がいる星に数千年に一度訪れものらしい。
ウルトラシリーズの多くは「ある時期を境に怪獣達が一斉に出現するようになった」と言う設定になっているが、これまでは「人類の科学の発達が自然のバランスを崩した」「異次元人が生物兵器をばら撒いた」「人間の心が怪獣出現と結び付いた」等と言った外的要因に依るものが多かったので「生命がいる星ならどこでも起こる自然の摂理」とした本作の「目覚めの刻」は意外と今まで無かったもので驚かされた。
怪獣出現の理由を外的要因ではなく自然の摂理とした事で『オメガ』の戦いは何かを倒したらそれで終わりではなくなった。その為、怪獣との戦いを未来永劫続けていくのか、怪獣と戦い続ける以外の落とし所を探るのかと言う話になり、最終回で語られた結論へと繋がっていく事になる。(そして、本編の最終回とは違った未来が描かれたのがおそらく「刻をこえて」になる)
自分の世代的には「人間と怪獣が生存競争を繰り広げる」と言う設定は『新世紀エヴァンゲリオン』を思い出す。
「目覚めの刻」に対してゲネス人は戦って怪獣を滅ぼす道を選び、脳波で怪獣を操れる生物兵器ゾヴァラスを作った。しかし、ゲネス人がより強力な兵器を作れば作るほど怪獣達も強くなっていき、激しさを増した戦いの結果、ゲネスの星は人も怪獣も住めない不毛の星となってしまった。
ウルトラシリーズはバトル作品の要素があって、バトル作品では敵味方の強さがどんどん増していく事が多く、ウルトラシリーズでも『帰マン』で地球怪獣が出現した後、より強力な宇宙怪獣が出現し、さらに宇宙怪獣を配下に持つ宇宙人が登場して、続く『A』では宇宙人と怪獣を上回る存在として異次元人と超獣が登場し、さらに次の『T』では超獣よりさらに強い怪獣が出現するようになった。
星に住めなくなったゲネス人の生き残りは新たな故郷を探す旅に出て地球を発見。地球人の科学が自分達に比べて遅れている事を知ったアーデルの仲間達は「目覚めの刻」による怪獣出現の混乱に乗じて地球を侵略しようと考える。
アーデルは穏健派だったがゲネス人そのものは過激派が多かったのか、怪獣出現に対しては強力な兵器を開発しての徹底抗戦を選び、その戦いで自分達の星を住めなくしたのに地球を発見すると地球人との共存ではなく地球侵略を考え、宇宙観測隊員のオメガが地球に近付かないように警告してくるとそれを無視して戦いを挑む等、全体的に「自分達にとって障害となる存在は排除する」と言う方向で動いている。サユキとの会話でソラトが「人間か怪獣か、どっちかがいなくなれば解決するのか?」と言っていたが、ゲネス人は常に「相手がいなくなれば問題は解決する」と言う考えで動き、その結果、ゲネス人自身が滅びる事となった。
アーデルは仲間達の地球侵略に反対し、オメガとの戦いで自分達の要塞が崩壊すると一人脱出して地球に降り立つ。そこで記憶を失ったオメガ=ソラトを発見するが、ここでソラトを迫害するような事はせず、逆にソラトから「親切な人」と評される行動を取っている。
そんな「親切な人」であるアーデルはソラトが地球で暮らすのならそっとしておいてやろうと考えたのだが、ソラトが地球人の為に怪獣と戦って「ウルトラマンオメガ」と呼ばれるようになると、自分達の星は宇宙観測隊員に見捨てられたのに地球は宇宙観測隊員のオメガに守られる事に疑問を抱き、全てを明かしてソラトの記憶を取り戻させ、オメガは星の運命に干渉せずただ観測するだけである宇宙観測隊の本分に戻るべきだと考えるようになった。
自分は昔からウルトラシリーズを見ていてウルトラマンが悪い宇宙人や悪い怪獣は倒すのに悪い地球人の命は決して奪おうとはしないところに正直言ってモヤモヤしていたものを感じていたのだが、今回のアーデルはそう言った地球人だけがウルトラマンに特別扱いされる違和感を見事に言語化してくれた。
今回のようなシリーズに昔からあった問題点や疑問点を取り上げる話は扱いが非常に難しいところがあって、その場合、アーデルに当たる存在を復讐に我を忘れて過激な行動を取る人物にして物語の焦点をウルトラマンが抱える問題点からアーデルに当たる人物の復讐心へとズラす事で物語を決着させると言う手があるが、『オメガ』はアーデルを親切な人にしてさらに登場時点で故人にする事で物語の焦点をアーデルにズラさずあくまでオメガが抱える問題点へと当て続けた。
今回は様々な謎が一気に解明される話であったが、『オメガ』は丁寧に伏線を張って布石を打っていたので、次々と情報が出てきても第1話からしっかりと見ていた人は情報を処理しきれなくて脱落するような事は無いようになっていたと思う。
令和時代はTVで放送した後もサブスクで何回も繰り返し見られるようになっているが、『オメガ』は謎が解けた状態で最初から見返すと新たな発見がいくつもあるので、手軽に以前の話を見る事が出来るサブスク時代向きの作品と言えるのかもしれない。
ツブイマを宣伝するわけではないが、いつあるか分からない再放送を待っていた昭和時代や家を出てレンタル店に直接行かなくてはいけなかった平成時代と比べると月550円で放送後すぐに自宅でウルトラ作品を何回も手軽に見られる令和時代は本当に恵まれていて助かるなぁと感じる。