『ゴジラvsデストロイア』
1995年12月9日公開
脚本 大森一樹
特技監督 川北紘一
監督 大河原孝夫
ゴジラシリーズの第22作で平成VSシリーズの完結作。
平成VSシリーズの完結作と言う事で脚本に大森一樹さんが、本編監督に大河原孝夫さんが、音楽に伊福部昭さんが復帰している。
『ゴジラ』の企画を立ち上げて以降もシリーズに関わり続けた田中友幸さんの最後のゴジラ作品。
本作には他にも音楽の伊福部昭さん、特技監督の川北紘一さん、ゴジラのスーツアクターの薩摩剣八郎さんの最後のゴジラ映画となっていて、一つの時代が終わった事を感じる作品となっている。
本作に限らないが平成VSシリーズは違う作品でも同じ役である俳優と作品ごとに役が違っている俳優がいるので見ていてちょっと混乱するところがある。撮影現場は混乱しなかったのかな?
本作は一作目の『ゴジラ』と密接に関わっていてオープニングも一作目を意識したものとなっている。
やはり本作はバーニングゴジラのインパクトが凄まじかった。
一目見ただけで今のゴジラが異常である事が分かる素晴らしいアイデアであった。
島の地層に含まれていた高純度の天然ウランが熱水の噴出によって核分裂反応を起こしてバース島が消滅してしまう。
結構大きい島だったバース島が消滅してしまうほどの核分裂反応が起きた事に驚くが、核エネルギーを吸収出来るゴジラが異常をきたすとなるとこのくらい大規模な異変が起きないといけなかったのだろう。
それにしてもゴジラがバーニングゴジラになって死を迎える事になったきっかけが地層に含まれていた天然ウランの核分裂反応と言う自然現象だったのが悲しい。ゴジラは生まれ育った地球によって死へのトリガーを引かれたのだった。
「ゴジラの体内構造に関する私的考察」と言う論文をインターネットでマービン教授に送った健吉。
ゴジラシリーズはこれまで様々な学者や専門家が登場したが、遂にインターネットで自分の論文を発表する学生が登場した。こういう時代の流れを見る事が出来るのが長期シリーズの面白さ。
山根健吉は一作目の『ゴジラ』に登場した新吉の息子と言う設定。
新吉は『ゴジラ』の後に山根博士の養子になったらしい。新吉のその後が気になっていたので結婚して子供が生まれて幸せそうだったのは嬉しかった。
国友長官の誘いに健吉は「ゴジラは趣味に留めておきたい」と答える。健吉から見たらゴジラは「祖父の山根博士にとっては殺したくない存在だったが弟子の芹沢博士が命を落とした原因でもあった存在」、「父の新吉にとっては実の家族の仇」、「伯母の恵美子にとっては兄代わりの芹沢博士が命を落とした原因」と中々に複雑な存在となっているのであまり深く関わりたくないのも理解出来る。
このように少し深刻な感じで「ゴジラは趣味に留めておきたい」と言った直後に三枝未希に会う為にGサミットへの参加を決めてしまう切り替えの早さはこれまでのゴジラ作品にはあまりいなかったキャラであった。
このように「これはこれ、それはそれ」と割り切れるからこそバース島の消滅でリトルゴジラが死んだ可能性を挙げたり、オキシジェン・デストロイヤーの使用やゴジラとデストロイアを戦わせる事を提案したりと固定観念や感傷に引きずられずに物事を考える事が出来たのであろう。
本作は三枝未希がゴジラとゴジラジュニアに感情移入しすぎていたので作品のバランスを取る為にも割り切りが出来る健吉は必要な存在だった。
正直言うと一作目の『ゴジラ』でオキシジェン・デストロイヤーの説明を聞いた時に「これはどう考えても平和利用は出来ない代物ではないか……?」と思っていたので、本作でミクロオキシゲンを発見した伊集院博士によって酸素ボンベの小型化や魚の巨大化等が可能でエネルギーや食糧の問題を解決する事が出来ると言う説明がされたのは良かった。
昭和シリーズでも『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』で食糧問題を解決する為に気象コントロール実験が行われていたが、オキシジェン・デストロイヤーの平和利用が実現していたら生物の成長を促進して巨大化させる事で食糧問題を解決する事が出来たのかもしれない。
ミクロオキシゲンの兵器利用の可能性について伊集院博士は「ミクロオキシゲンを兵器として使用するほど今の人類は愚かではないと思います」と回答する。
いやいや待て待て。既に核兵器が使われ、『ゴジラvsビオランテ』では抗核バクテリアを、『ゴジラvsスペースゴジラ』ではゴジラそのものを兵器として使おうと人類が争っている世界でよくそんなのんきな事が言えるなぁ。そりゃ芹沢博士の最期を知っている山根ゆかりが「科学者独特の楽観的な意見」と皮肉の一つも言いたくなるよ。
一作目の『ゴジラ』に登場した山根恵美子が再登場しているが、どうやら尾形とは結婚せず独身らしい。それだけ芹沢博士の死が重かったわけだが、芹沢博士が最後に願ったのは恵美子と尾形の幸せだったので、二人には幸せになってほしかったなぁ……。
伊集院博士は芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーの事を知っていた。
芹沢博士はオキシジェン・デストロイヤーの資料を全て焼却して自分の命も絶ったが、ゴジラと言う未曾有の脅威をどのようにして消し去ったのか後世の人が全く調べなかったとは思えないので、芹沢博士の死後、ゴジラが消された海底の調査が行われ、科学者の間でオキシジェン・デストロイヤーの存在が推測されたと思われる。
伊集院博士は酸素の研究を始めた時点でオキシジェン・デストロイヤーの存在を知っていたので、実際に再現出来た人はいなかったが、オキシジェン・デストロイヤーの理論は研究者の間では広く知られたものとなっているのかもしれない。
東京湾海底トンネルの建設工事現場で起きた事件の調査を終えた伊集院博士はマスコミに向けて原因は分からないとしながらも「この海の底には一人の天才科学者が静かに眠っているからです」と答えている。
これは芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーについて知識がある人が聞いたら事件の答えが分かってしまう発言で実際にゆかりはすぐに理解した。もしオキシジェン・デストロイヤーを兵器利用しようとする人が聞いていたらかなり危うい事態になっていた軽率な発言であったと言える。
本作は芹沢博士が死んだ場所からオキシジェン・デストロイヤーの力を持った怪獣が誕生すると言う話なので、考えようによっては一作目でゴジラを消し去った芹沢博士が怪獣となって再びゴジラの前に現れたと見る事が出来る。
デストロイアは商標問題を警戒してオキシジェン・デストロイヤーの力を持った怪獣なのに名前が「デストロイヤー」ではなく「デストロイア」になっている。まぁ、既存の言葉をちょっと変えて怪獣の名前にする事は昔からよくあるので自分はあまり気にならないかな。
25億年前の先カンブリア紀の生物について語った伊集院博士は話を聞いていたゆかりの態度に激高する。それに対してゆかりは「失礼しました。別に馬鹿にして笑ったんじゃないんです。(伊集院博士が)意外とロマンティストなんで」と釈明するが、ロマンチストとは「空想家」「夢想家」と言う意味なので、科学者にそれを言うのは馬鹿にしているのと同じだと思う。
ゆかりは本作のヒロインなのだが他にも「(伊集院博士のような)自信家な男ってどうも好きになれない」と言う理由でTV番組でわざと恥をかかせるような発言をする等、マスコミの嫌な部分が見える一歩間違ったら悪役になりかねない人物だった。
ゆかりの態度は見ていて思わずイラッとするものがあるが、一方の伊集院博士も結局はデストロイアを誕生させてしまっているので、ゆかりに「楽観的」「ロマンティスト」と言われるのも仕方が無いところがあった。
ゴジラのエネルギーである核分裂は体内の水分によって制御され、空気から吸い込む二酸化炭素で冷却されコントロールされていた。それがバース島の異変によってバランスを崩し核分裂が飛躍的に活性化してしまったのが本作のバーニングゴジラとなっている。
『シン・ゴジラ』では血液凝固促進剤で血液の流れを止めたらゴジラは生命を維持する為に急激な冷却を行って活動を停止させるとなっていたが、一歩間違ったら本作のようにバランスを崩して核爆発かメルトダウンを起こす恐れがあったのかな。
今のゴジラが核爆発を起こしたら大気圏に火が付いて地球が炎に包まれる恐れがある。
ゴジラを含めてこれまで登場した怪獣達は大きくても身長が100m程だったので、さすがに一体で地球を滅亡させるのは無理があったのだが、平成VSシリーズ最終作だからか本作に登場したバーニングゴジラは地球を滅亡させられる程の存在とされた。
ゴジラシリーズの長い歴史の中でもゴジラを完全消滅させて後に復活もさせなかったのは一作目の『ゴジラ』に登場したオキシジェン・デストロイヤーだけだったので、地球滅亡の危機に対して健吉がその使用を提案した時は「いよいよ来たか!」とシリーズのクライマックスを感じた。
デストロイアの幼体はゴジラシリーズでは珍しく人間よりちょっと大きいサイズとなっている。
予算やスケジュールの問題等があると思うが、怪獣作品では犯罪者やテロリストを相手にした人間同士による屋内戦より本作の特殊部隊とデストロイア幼体の戦いのような人間と怪獣による屋内戦をしてほしいかな。
主人公とヒロインの場面を作りたかったのは分かるけれど、ゆかりがデストロイアの幼体に襲われて伊集院博士が助ける展開はちょっと無理矢理と言うか強引だった。
伊集院博士とゆかりの場面を作るのなら怪獣に襲われる場面よりオキシジェン・デストロイヤーや科学者の扱いで伊集院博士と衝突していたゆかりが弟からバーニングゴジラの危険性を伝えられて伊集院博士にオキシジェン・デストロイヤーの開発を頼む事になった時の心境を深く描いてほしかった。
本作は「ゴジラ死す」のインパクトが強くてデストロイアの印象が弱いと言われる事があるが、ゴジラ関係のヒロインである三枝未希がゴジラとゴジラジュニアを救おうとするが最後は人類の為にゴジラ達を犠牲にしなければならなくなったと言うドラマがきっちりと描かれたのに対してデストロイア関係のヒロインであるゆかりのドラマがイマイチ弱かったのがそのままデストロイアの印象の弱さに繋がってしまったところがあったかなと思う。
スーパーXⅢ登場!
開発が自衛隊で、目的もゴジラ打倒ではなくて原発事故や核攻撃を想定したものとなっていて、搭載兵器もカドミウム弾と冷凍兵器となっている。
対ゴジラはGフォースに引き継がれたので、自衛隊が持っている技術は原発事故や核攻撃と言ったゴジラ以外の災害に当てられる事になったのかな。
2011年に東日本大震災が発生して福島第一原発事故が起きた時は「スーパーXⅢが本当にあったらなぁ……」とつくづく思った。
スーパーXシリーズの音楽は3曲とも作っている人が違うがどれも名曲で心躍るものとなっている。
スーパーXⅢを操縦するのは『ゴジラvsビオランテ』に登場した特殊戦略作戦室の黒木特佐。ただし、演じているのは髙嶋政伸さんではなくて『ゴジラvsメカゴジラ』で青木役だった兄の髙嶋政宏さんとなっている。
本作の黒木特佐はバーニングゴジラの凍結に成功して仲間とサムズアップを交わしたりと『ゴジラvsビオランテ』と比べると砕けていると言うか親しみやすくなっている。演じている役者が高嶋政宏さんに代わっているので『ゴジラvsメカゴジラ』の青木のキャラが入っているのかな(「後はよろしく」と青木と同じ台詞があるし)
そう言えば麻生司令官はかつては自衛隊に所属していたので黒木特佐の事も知っていたのかな。
バーニングゴジラの熱線が直撃しても撃墜されずバーニングゴジラを凍結させたスーパーXIIIが凄すぎる。ひょっとしたら、本作以前に登場していたらゴジラに勝てた可能性もあったのではないか。
バーニングゴジラもデストロイアも冷却する事で活動を抑えられる事が判明するが、この頃のゴジラシリーズは怪獣や兵器の火力がどんどん増していたので、最後は冷凍兵器が決め手になると言うのは意外で上手いところを突いたなと思った。
三枝未希は7年前に比べて能力が落ちているらしい。
前作の『ゴジラvsスペースゴジラ』ではテレキネシスが発現したりと能力が強くなっている感じだったのだが、ひょっとしたら、前作で能力を引き出しすぎてしまった為に本作では能力が衰えてしまったのかな。
三枝未希と同じ超能力者である小沢芽留は「こんな人とは違う能力無くなれば良いと思っているわ。女の子なんだから早く普通に戻って恋もしたいし結婚もしたいわ」と語る。
これまで登場した三枝未希以外の超能力者達が政府や国際機関に教育されて自分の考えをちゃんと持てているのか見ていて不安になるところがあったので、ちゃんと自分なりの考えを持って口に出せる超能力者がいて安心した。
小沢芽留は「普通に戻って恋や結婚をしたい」と言っていたが、前作の『ゴジラvsスペースゴジラ』で良い感じだった三枝未希と新城のその後の話が今回無かったのは三枝未希が超能力者である事が原因で最終的に別れてしまったと言う事かな。
ただ、平成VSシリーズでは超能力者が世間から迫害されるような場面は無く、三枝未希は超能力者だからと言うよりゴジラとゴジラジュニアに感情移入しすぎた為に周りから孤立したところがあるので、別れた原因は超能力よりゴジラにあると思う。
バーニングゴジラのメルトダウンを阻止するにはオキシジェン・デストロイヤーを持つデストロイアとぶつけるしかないとして、東京にいるデストロイアにバーニングゴジラを向かわせる為にゴジラジュニアを利用する事になり、そのゴジラジュニアの誘導を三枝未希が担当する事になる。
よりにもよって三枝未希にゴジラジュニアとゴジラの死の行進の先導をさせるとは残酷な展開だ。本作を見ていると、たとえ人類滅亡が回避されたとしても、三枝未希、小沢芽留、健吉の若者3人はこの先ずっと重い影を背負っていく事になりそうで辛いところがある。(この後に若者3人が一緒に笑い合う事はまず無いと思われる)
怪獣出現が数年に亘って続いたからか、本作の避難シーンでは慌てて逃げる人がいる一方で諦めているのか慣れてしまったのか妙に落ち着いて動かなかったり普段通りのままだったりする人がチラホラいる。
「ありったけの冷凍弾か? ……これで我々の来年度の予算はゼロだな。来年度があればだが……」。
平成VSシリーズの第1作である『ゴジラvsビオランテ』で黒木特佐が権藤一佐とゴジラ関係の予算の話をしていた事を思い出すと本作で黒木特佐が呟いた「これで来年度の予算はゼロだ」は色々と感慨深いものがある。
シリーズ終盤の登場なので仕方が無いところがあるが、ゴジラジュニア(リトルゴジラ)の対戦相手が初戦がスペースゴジラで二戦目がデストロイアって酷すぎる……。
平成VSシリーズでゴジラが人間を守る場面は無かったが、本作でゴジラジュニアがデストロイアを攻撃した事で結果的に三枝未希と小沢芽留を助ける事になった場面がある。
ゴジラジュニアが三枝未希達を助けるつもりだったかどうかは明言されていないが前作の『ゴジラvsスペースゴジラ』での三枝未希とリトルゴジラのやりとりを思い出すと助けるつもりだった可能性が高い。
平成VSシリーズでは昭和ゴジラシリーズの場面や展開がいくつか再現されているが、ゴジラジュニアが三枝未希を助けた事で昭和シリーズ後期の人類の味方になったゴジラも再現されたと言える。
平成VSシリーズのゴジラは昭和シリーズにあった人間っぽい動きをあまり見せていなかったので、ゴジラジュニアと再会した時の嬉しそうな動きが印象に残った。それだけにゴジラジュニアが死んだ時の泣くゴジラの姿が悲しくなる。
ゴジラジュニアはゴジラと遜色ない姿になったと思っていたので実際にゴジラと並ぶと半分くらいの大きさだったのに驚いた。(因みにゴジラジュニアの身長は40mでゴジラの身長は100m)
炎と爆発と伊福部音楽と川北逆光で現れたデストロイア完全体のデザインがラスボスの風格があって好き。ゴジラシリーズと言うより後の『ウルトラマンガイア』に出てきそうなゴツさがあった。
完全体の角から出るエネルギーの刃でゴジラを切り裂いていくのは平成VSシリーズ最後の敵に相応しい残虐で格好良い技であった。
デストロイアは重量感溢れる完全体のデザインも好きだが、完全体に近いボリュームを誇りながらシャープなシルエットになっている飛翔体のデザインも好き。
とにかく盛り上がるスペースゴジラ戦と違ってデストロイア戦はゴジラジュニアの死やバーニングゴジラのメルトダウン等があって悲壮で暗い雰囲気となっている。だからこそメルトダウンが始まって背びれが溶けて体内から炎が吹き出る状態からバーニングゴジラが大火力で仇敵のデストロイアを屠る決着が最高となる。
平成VSシリーズのラスボスであるデストロイアだが前作のスペースゴジラ程の強さを感じないと言われる事がある。正直言うと自分もデザインは好きだがデストロイアがスペースゴジラ並に強いと感じられたかと尋ねられたらちょっと返答に困るところがある。
デストロイアがスペースゴジラほど強く感じられなかった理由はいくつか考えられる。
まずはスペースゴジラがゴジラとMOGERAの二体を同時に相手にしたのに対してデストロイアはゴジラジュニアとバーニングゴジラを別々に相手にしていた。そして、歴戦の勇士である結城が操縦するMOGERAと違ってゴジラジュニアは戦いの経験が殆ど無かったので、ゴジラジュニアを倒してもデストロイアの強さの証明にはならなかった。
又、本作は「ゴジラ死す」と言うキャッチコピーから分かるようにゴジラの死がメインテーマとなっていて観客も劇中の人物もデストロイアの強さよりバーニングゴジラのメルトダウンがいつ始まるかに注目していた。そしてバーニングゴジラが「ゴジラが自滅するほど核エネルギーが強大になっている」と言う設定なので、最後にバーニングゴジラはデストロイアでも手も足も出ない強さを発揮する事となった。
おまけにバーニングゴジラにボコボコにされて逃げようとしたデストロイアはそのまま自衛隊の冷凍兵器でとどめを刺されてしまったので、「デストロイアは戦いの経験が殆ど無いゴジラジュニアを倒した後、バーニングゴジラにボコボコにされて、最後は今までやられ役だった自衛隊に倒されてしまった」と言う結果になってしまい、それほど強い印象を持たれなくなってしまった。
全体的にデストロイアは「ゴジラ死す」をテーマにした展開の為に色々と割を食ってしまったところがある。対決路線が定着したので難しいと思われるが、本作は対戦怪獣を用意しないで「ゴジラ死す」だけに集中した方が話が上手くまとまったかなと思う。
伊集院「ゴジラが東京を死の街にして溶けていく……」、
ゆかり「これが私達の償いなの?」、
伊集院「償い?」、
ゆかり「科学を、核を弄んだ私達人類の……」。
東京に放射能を撒き散らしながら溶けていくゴジラ。
平成VSシリーズ後期のゴジラは「強さや力の象徴」と言うバトル作品ならではの存在となっていたが本作のバーニングゴジラはそれを超えて「ゴジラ自身ですら制御出来ない核の力の恐ろしさを示す存在」となってしまった。
自身でも制御出来ない核の力に苦しみながら死んでいくゴジラの姿は人間が犯してしまった罪を観客にまざまざと見せ付ける事となった。人間はこの世にゴジラと言う「安らかに死ぬ事すら出来ない存在」を生み出してしまったのだ。
ゴジラがメルトダウンを起こして消滅したと思われたところで放射能のレベルが急激に下がっていく。そしてゴジラが消えた煙の中に新たなゴジラが……。
ここで第1作の『ゴジラ』と1984年の『ゴジラ』と平成VSシリーズを振り返るエンディングが流れる。1984年にシリーズが復活してから本作まで11年が経過しているので、平成VSシリーズを追いかけてきた自分はこのエンディングを見て込み上げてくるものがあった。
最後に煙の中に現れたゴジラの影はゴジラジュニアの成長した姿と思われる。『ゴジラvsメカゴジラ』や『ゴジラvsスペースゴジラ』の話があるので今度のゴジラは人間の味方となるのか、それとも本作で人間に利用された事から人間の敵になってしまうのか……。
