帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

「虚無の扉」

「虚無の扉」
ウルトラQ dark fantasy』第26話
2004年9月28日放送(第26話)
脚本 小林雄次
監督 高橋巖

 

電波怪人レキューム人
身長 373m
体重 45万t
文明の発達と共に想像力を失っていったので人間の豊かな想像力を奪おうとした。
レキュームガスを求めて宇宙を彷徨い、自らの肉体を電波に変え、第二東京タワーの試験電波に紛れて人々の想像力を吸い取っていった。
想像力で自分達の存在を当てた漫画家・笹山に注目して異世界に監禁するが、最後は笹山が描いた逆転の秘策で第二東京タワーから発せられた周波数で自分達の周波数を打ち消されて消滅した。

 

物語
デジタル新時代に対応すべく高さ666mもの高さを誇る第二東京タワーが作られる中、人間から想像力が消え去ってしまうと言う事件が起こる。
調査を開始した渡来教授らは恐るべきレキューム人の存在を知る事になる。

 

感想
第1話の「踊るガラゴン」でガラゴンと言う巨大怪獣からガラQと言う小型侵略兵器へと物語の視点を変えて従来のウルトラシリーズとは違う『Qdf』ならではの路線を提示してからは巨大怪獣や宇宙人に依らない話が多く作られてきたが、最終回では身長373m体重45万tと言うとんでもなく巨大な宇宙人レキューム人が登場して従来のウルトラシリーズへと物語を戻している。

 

今まで巨大怪獣や宇宙人が殆ど登場していなかったのに最後に身長373mと言うウルトラシリーズでも超巨大なレキューム人が登場したのには思わず笑ってしまった。
だが、巨大レキューム人に破壊される都市の場面を見ると久々にウルトラシリーズを見ている気分に浸れてワクワクした。

 

第1話の「踊るガラゴン」でガラゴンが東京タワーの前に姿を現したのに対し最終回ではレキューム人が第二東京タワーを襲う等、各話の繋がりが無いアンソロジー作品であるが第1話と最終回を繋げて作品を締めようとしているのを感じる。(あと野沢が所属する電波監理局は「ガラQの大逆襲」に登場する電波通信監理局を思い出した)

 

レキューム人の目的は人間の豊かな想像力を奪う事。
有史以前、一匹の猿が「あの山の向こうには何があるんだろう?」と考えた瞬間に人類が誕生したと言う話は『ダイナ』でも語られている。『ダイナ』ではその話を引き合いに出して「人間は常に前に進もうとする存在」と定義付け、『Qdf』では「人間は常に何かを考える存在」と定義付けした。
想像力が消える事は単にクリエーターの仕事が無くなるのではなく、他人の気持ちも考えないとして猟奇的な殺人やテロを生む温床となって世界の混乱と人類の滅亡へと続いていくとされた。
今回の話は巨大レキューム人に注目してしまうが、人間の内的な問題を取り上げているところは『Qdf』のこれまでの流れに合致していて、更に人間の想像力は未来を夢見る好奇心にも関わるとして、想像力の無いレキューム人には未来を見る事が出来ず、未来を見る事が出来る人間が未来を信じられた子供の頃を思い出して逆転の秘策を思いつくと言うのは最終回に相応しい展開であった。

 

今回のゲストの笹山はアイデアの枯渇に悩み、漫画より現実の方が遥かに凄い事件が起きる中、漫画家としての未来に希望を見出せなくなってしまっていた。しかし、かつて剛一と語った人間の想像力に関する話からレキューム人の侵略を思いついて漫画にする。
ウルトラシリーズで漫画が現実化する話は『A』の「3億年超獣出現!」があるが、ここは『Q』の「2020年の挑戦」にあった神田博士の小説が元ネタであろう。

 

今回登場した笹山の漫画は『特撮エース』で『Qdf』の漫画版を描いていた大森倖三さんによるものとの事。

 

人間から想像力を奪うレキューム人が第二東京タワーの電波に紛れていたと言う設定はかつて言われた「一億総白痴化」を意味しているのかな。

 

レキューム人のモデルとなった「2020年の挑戦」のケムール人は「若い肉体」と言う物理的なものを欲したが今回登場したレキューム人は「想像力」と言う精神的なものを欲している。

 

第二東京タワーのモデルは『Qdf』の放送前年に推進プロジェクトが発足した東京スカイツリーであろう。(スカイツリーは高さ634mであるが当初の予定では東京タワーの2倍である666mだった)

 

「デジタル新時代」と言う21世紀を舞台にした話かと思いきや全体の小道具は20世紀を思わせるものであった。個人的にはこれまで20世紀を懐古する話が多かったので最後は舞台を21世紀にして次の時代へと繋げてほしかった。
「レキューム人に想像力を奪われたらどうしよう……。いいえ、そんな心配はいりません。今の人類に狙われるほどの想像力などありませんから。これは隣人への労わりに満ちた遠い未来のお話なのです」。
このようなナレーションがラストに入れられているが、あれだけ20世紀の小物を置いていてラストでいきなり未来の話だったとされても違和感が生じる。又、子供の頃は想像力があるとしていながら物語の舞台を想像力が失われた現在ではなく未来としているので、結局、今回は未来に向けての話だったのか過去に向けての話だったのかよく分からなくなってしまった。
そもそも想像力の大切さを語った話でラストナレーションを過去作品のオマージュにしてしまったのは問題だったと思う。今回のラストナレーションは今回の話だけでなく『Qdf』と言う作品の締めとなるものだったのに、そこで想像力を欠いた安易なオマージュをしてしまった事でウルトラシリーズの未来に希望を見い出しにくくなってしまった感じがする。(TV放送版では「未来の話」ではなく「フィクション」となっていたようで、それなら色々なものが腑に落ちるのだが……)

 

今回の話は高橋監督のウルトラシリーズ監督最終作となっている。