帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』

フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』
1966年7月31日公開
脚本 馬渕薫・本多猪四郎
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

 

フランケンシュタイン対地底怪獣』の続編と思いきや実は繋がっていない。
地球防衛軍』と『宇宙大戦争』も繋がっているようで実は繋がっていなかったが、『宇宙大戦争』にはミステリアンが関わっていなかったので『地球防衛軍』と繋がっていなくてもあまり支障は無かったのだが、本作は「フランケンシュタインの怪獣」と言う根幹の設定を引き継いでいたので『フランケンシュタイン対地底怪獣』と切り離した事で見ていて混乱する部分が生じてしまった。
個人的にはマーベル・シネマティック・ユニバースのように細かい部分まで繋げる必要は無いと思っている。だけど、せめて『フランケンシュタイン対地底怪獣』と明確に繋がっていないとなる場面を入れるのだけはやめてほしかったかな。

 

フランケンシュタイン対地底怪獣』と本作に登場したフランケンシュタインはどちらも「クローン技術で人工的に作られた人間」と言う感じになっているが、『フランケンシュタイン対地底怪獣』のフランケンシュタインが原爆で変異した人間のような感じだったのに対して本作に登場したフランケンシュタインは毛むくじゃらで猿人のような感じになっていた。
サンダとガイラの元となったフランケンシュタインは研究所の職員達に「海にいるなんてあり得ない」と言われていた。 どうして「海にいるなんてあり得ない」と言われたのかは謎だが、その後の雪山で目撃されたサンダの場面が雪男を連想させるものになっていたので、ひょっとしたら、本作のフランケンシュラインは雪男のイメージが付け加えられていたのかもしれない。確かに雪男が海にいるなんてあり得ない。
自分は未見なのでなんとなくそうなのかなぁと言う感じで書くが、本作は『フランケンシュタイン対地底怪獣』だけでなく『獣人雪男』の要素も入っていたのかもしれない。

 

サンダとガイラの元になったフランケンシュタインの出生について本作の劇中では詳しく語られていないが『フランケンシュタイン対地底怪獣』と似た感じだったのだろうか……?
フランケンシュタインについて劇中で語られている話が『フランケンシュタイン対地底怪獣』と同じだったり違ったりした為に本作のフランケンシュタインは一体どういう存在なのか分からなくなって混乱してしまうところがあったのは残念。

 

フランケンシュタイン対地底怪獣』のラストで唐突に差し込まれた感があったフランケンシュタインと大ダコの戦いだが、本作冒頭のガイラと大ダコの戦いは雷が鳴り響く荒れた海と言う自然なシチュエーションになっていて良かった。

 

日本の怪獣の中でもトップクラスのトラウマ度を誇るガイラ。
ゴジラも実際に遭遇したら滅茶苦茶怖いと思うのだが、ゴジラは移動がゆっくりだし、人間一人一人を認識して襲う事があまり無いので、『ゴジラ』の大戸島で逃げ遅れたヒロインが主人公と一緒に身を潜める事でやり過ごせたように助かる方法はいくつかありそうなのだが、ガイラは移動速度が速い上に人間を餌と認識して一人一人を襲ってくるので、建物の中や地下道にいても腕を伸ばして捕まえようとしてくるのが怖かった。
ゴジラのように怪獣に認識されないまま放射能や瓦礫で死んでしまうのももちろん嫌だが、船から海を見たら海底にいるガイラと目が合ったと言うように怪獣と目が合って喰われてしまうのもかなり怖くて嫌だ。
自分は地引き網の浜辺や羽田空港に現れるガイラがかなり怖くてトラウマなのだが、これはどちらも隠れる場所が少ない見通しの良い場所なので「ガイラに見られる」と言う怖さがあるのかなと思う。

 

最初に見た時はトラウマ必至の存在であるガイラだが二回目以降は「怖い」より「可哀想」と言う印象が強くなる。
ガイラは人間を捕らえて食べる恐ろしい怪獣であるが戦闘力はそれほど高くない。光が苦手なので「電気を点ける」「火を燃やす」等で進行方向をある程度変えられるし、メーサー殺獣光線車を中心とするL作戦で撃退寸前まで追いつめる事が出来た。『ゴジラ』のオキシジェン・デストロイヤーのような超兵器や『空の大怪獣ラドン』のような自然の力を借りなくても現時点の人間の科学力で十分に撃退出来たと思われる。その為、ゴジラキングギドラにあった「絶対的な強さによる恐怖」は中盤以降はあまり感じられなかった。
又、本作の展開をガイラの視点から見直したら「食料になる人間に釣られて地上に迷い込んだら人間達の攻撃で瀕死の重傷を負わされた」「仲間のフランケンシュタインに助けられたと思ったら、そのフランケンシュタインの態度がいきなり変わって自分を殴ってきた」となって、どちらかと言うとガイラは可哀想な被害者である事が分かる。
なので、事情を知らない一回目はガイラの「怖さ」が印象に残ったが二回目以降はあまり強くない上に被害者であるガイラの「可哀想さ」が気になるようになった。

 

フランケンシュタインの怪獣が現れたのにのんきに山でハイキングをしてガイラに食べられてしまった若者達が歌っていたのは唱歌の『故郷』。ガイラは人間の言葉を理解していなかったと思われるが、『故郷』の歌詞が故郷も親も友人も存在しないガイラに突き刺さりまくる内容になっているのが興味深い。それにしても人間は兎を追って小鮒を釣っているのに怪獣が人間を食べるのは駄目と言うのはガイラからしたら納得がいかないだろうなぁ。

 

劇中ではサンダとガイラの関係は「兄弟」「分身」等と説明されているが、「肉片から新たなフランケンシュタインが発生する」と言う設定なので「クローン」が一番近いと思われる。

 

映画を見る前は「サンダが善い怪獣でガイラが悪い怪獣」と言うイメージがあったが実際に見てみたら「善悪」で語れない内容であった事が分かる。
本作のサンダとガイラの戦いの原因は「人間に育てられたかどうか」にあった。人間に育てられたサンダは人間を襲ってはいけないと考え、人間とは姿形大きさが違う自分は人間の目に触れる場所では生きていけない事を理解している。一方、海の底で一人で生きてきたガイラは大ダコと同じように人間も餌だと思って、その餌を求めて何も気にせずに地上に現れて街を歩いてしまった。
人間社会から見たらガイラは人間を襲って食べる恐ろしい怪獣であるが、自然界で考えたらタコや牛は食べても良いが人間は食べたら駄目だと言うサンダこそおかしい存在となる。

 

物語後半のガイラは「人間を襲う」より「サンダから逃げる」場面が多かったりする。
終盤のガイラは昼間でも活動するようになるが、それは「光を恐れなくなった」ではなくて「光は苦手なままだが、それ以上にサンダや自衛隊が襲ってくる地上にはもういたくない」として「昼間だろうが夜だろうが関係無く一目散に故郷である海へと帰りたかった」のだと思われる。
一方で後半のガイラは光がある所に餌である人間がいる事を学習してしまい、餌である人間を求めて地上を歩くようになってしまった。メーサー殺獣光線車を撃ってくる自衛隊でなければガイラが遭遇した人間はただ叫んで逃げるだけの弱くて食べやすい餌なので、サンダと自衛隊さえいなければ地上はガイラにとって餌が豊富な楽園であった。

 

サンダはアケミを助ける為に崖から落ちて足を折ってしまった。又、サンダはガイラを倒すつもりはなくて人間を食べないように説得したいだけであった。一方のガイラも自衛隊の攻撃で瀕死の重傷を負わされてしまった。又、ガイラはいきなり殴りかかってきたサンダに対して恐怖を抱いていて戦うつもりは殆ど無かった。なので、サンダとガイラの決戦は大怪我を負った二体が本当は戦いたくないのに戦う事になってしまったと言う悲しいものとなってしまった。おそらくだが、最終決戦で戦う事に迷いが無くてしかも万全に近い状況だったのは自衛隊だけだったと思われる。

 

「サンダが完全にコントロール出来るのなら国連の学術会議に提案して、日本でなくてもカナダやエスペリアと言ったサンダに適した気候の広い土地がいくらでもあるだろう」と言う話が出てくる。ひょっとしたらこれが『怪獣総進撃』に登場する「怪獣ランド」に繋がるのかな。

 

戦いの決着となった海底火山はやっぱり唐突だった。サンダとガイラの肉片から新たなフランケンシュタインが発生しない為に火山の溶岩が必要だったのは分かるが、せめて『ゴジラの逆襲』や『空の大怪獣ラドン』くらいの伏線や前振りは欲しかった。