帰ってきたウルトラ38番目の弟

ウルトラシリーズについて色々と書いていくブログです。

「地球を抱くものたち」

「地球を抱くものたち」
ウルトラマンブレーザー』第25話
2024年1月20日放送(第25話)
脚本 小柳啓伍
監督 田口清隆

 

宇宙爆弾怪獣ヴァラロン(第2形態)
身長 60m
体重 6万9千t
月の破片にしがみ付いて地球に飛来した。
V99が地球から離れた後も暴れ続けるが最後は設置した有機爆弾を地球怪獣達に捕食され、自身もブレーザーブレーザー光線で倒された。

 

地球怪獣達
地球の危機を察知したデマーガ、ズグガン、デルタンダルがヴァラロンが設置した有機爆弾を捕食した事で連鎖爆発による地球の危機は回避された。

 

物語
月での戦いを終え、ブレーザーとアースガロンは大きなダメージを負ってしまう。
一方、地球に襲来したヴァラロンは有機爆弾を設置して地球に甚大な被害を与えようとする。
そして遂にドバシが隠していたV99案件の真相が明らかに……!

 

感想
ウルトラシリーズの最終回では珍しくゲント隊長とブレーザーの関係が周囲にバレないまま話が終わった。
これまでの話を見ているとかなりバレバレな時もあったのだが、前回から今回にかけてブレーザーとゲント隊長が分離して皆がゲント隊長とブレーザーを同時に目撃しているので二人が一体化していると考える人は出てこなかった。

 

ヴァラロンの光線が人々に直撃している場面がある。
ここまでストレートに怪獣に殺される一般市民を描くのは珍しい。

 

ゲント隊長のところのアースガロンが一大事と言う事で他の部隊が救援にやって来る。
最終決戦に主人公達とは別の人達が助けに来るのは燃える展開。
ゲント隊長が他の部署と色々繋がりがある事は第1話から何度か示されていたのでこの展開は納得出来るものであった。

 

地球の危機に様々な部隊が駆けつけるのはクライマックスに相応しい展開であるが、防衛隊がこれを指示したのではなくて、あくまでゲント隊長の人徳で人が集まったと言うのは実は大きな問題で、もしゲント隊長がいなかったら防衛隊は地球に襲来したヴァラロンに向けてまとまった戦力をぶつける事すら出来なかった恐れがある。

 

ゲント隊長の「命を守る」と言う考えや部下を想う人柄に惹かれて他の部隊の人間が救援に来てくれたようにブレーザーもゲント隊長に惹かれて一緒に戦う事を告げる。
ゲント隊長とブレーザーがコミュニケーションを直接取る場面は少なかったが、ゲント隊長と様々な人達の交流を描く事で、おそらくブレーザーも彼らと同じようにゲント隊長に惹かれたのだろうと推測できる作りになっていたのは思わず唸った。これは映画と違ってちょっとした描写を積み重ねていく事が出来るTVシリーズだから出来た描き方だったと思う。

 

最初は地球の言葉を発せられなかったブレーザーが「オレモイク」とゲント隊長と同じ言葉を喋るようになったのは感動。
基本的にウルトラマンは『初代マン』の頃から第1話の時点で地球の言葉が喋られるようになっているのだが『ブレーザー』はあえてその形を外す事で「ウルトラマンが喋る」と言う『初代マン』の第1話からあったシチュエーションに大きな意味を持たせる事が出来た。

 

ブレーザーとして戦う事を決意したゲント隊長は医官に看てもらったら絶対安静だと告げられたとしてテルアキ副隊長にSKaRDの全指揮権を委譲する。
ぶっちゃけ、これまでの話を見ていると隊長とウルトラマンの両立は無茶で大変なのにゲント隊長はそれを皆に隠してなんとか両立させようとして、結果、作戦中に指揮官が指示を出せない状態になったり体調を悪化させたりしていたので、最後に今の自分が出来る事は何なのか考えてテルアキ副隊長に指揮を任して自分はウルトラマンである事に集中すると言う判断が出来たのは良かった。(まぁ、この後はまたウルトラマンと隊長の両立になってしまうのだが)

 

ウルトラシリーズに限らずヒーロー作品の最終回での変身は盛り上がる展開になる事が多いのだが今回はちょっと切ない感じになっている。

 

「フォース・ウェイブ」として月軌道に怪獣を収容していると思われるV99の宇宙船団が現れる。
地球防衛隊日本支部司令官の源川ですらV99に関しては何も知らされていなくて、日本の品川が被害に遭っていると言うのにドバシとアメリカ本部がサード・ウェイブを放置して月軌道のフォース・ウェイブ迎撃を優先しようとしたのは色々言いたいものがあったと思う。

 

ぶっちゃけると、V99の宇宙船団が到着しても地球の危機ではあるが、ヴァラロンを放置しても有機爆弾の爆発で地球の軌道が変わって滅亡の危機になるので、サード・ウェイブを放置してフォース・ウェイブを優先するのは得策ではない。
おそらくこの時のドバシとアメリカ本部の判断は日本を切り捨てると言うより既に冷静に状況を判断して対処に当たれる状態ではなかったのだろう。エミ隊員を監禁したのも結果としてV99攻略を遅らせる事になったし、もうドバシ達は優先順位を正しく付けて行動する事が出来なくなっていた。

 

ドバシ「解任された人が作戦中の指揮所に入っちゃ駄目でしょ」。
退官したのに作戦中の指揮所に入って見学と言っていながら指揮を執っている元長官に言われたくないなぁ。

 

源川司令官はドバシの文句を無視してハルノ参謀長の発言を許可する。
なんやかんや言っても今の指揮権はドバシではなくて源川司令官にあって、ハルノ参謀長もこの後にドバシの事を「ドバシ長官」ではなく「ドバシさん」と呼んでいる。

 

遂にV99案件の真相が明らかになる。
1999年に防衛隊が撃墜したのは隕石ではなくて地球外生命体の宇宙船で、回収した宇宙船の残骸から得た技術を応用してワームホール発生装置とアースガロンを開発していた。
ドバシは地球に対する脅威と考えて宇宙船の撃墜を命じたと答えるが、エミ隊員はそれが原因でバザンガ、ゲバルガ、ヴァラロンが地球に送り込まれたと返し、さらに自分の父親の日記には宇宙船の残骸から兵器の類いは一切発見されなかったと書かれていた事を明かす。
ドバシとV99の謎がきれいに解けた。
ウルトラシリーズで「1999年」と言う時代を考えると『ブレーザー』のV99は「根源的破滅招来体に地球を攻撃する意思が無かった場合」の話だったのかなと感じた。『ノストラダムスの大予言』の影響で「空から恐怖の大王が来る」と言う話があった頃なので根源的破滅招来体もそう言った地球に破滅をもたらす存在と言う感じになっていたが、今思えば「空から恐怖の大王が来る」と言う先入観のせいで本来は敵意の無かった存在も破滅をもたらす恐怖の存在かもしれないと地球人が思い込んでしまったのもあったのかもしれない。

 

エミ隊員がV99案件の真相を暴き、アンリ隊員がアーくんはV99と意思の疎通が出来るのではと考え、それをテルアキ副隊長が実行に移すとそれぞれ見せ場が用意されていたのだがヤスノブ隊員だけはアーくんには機密事項が多かったと言う説明だけだったのはちょっと勿体なかった。
ヤスノブ隊員の「アマチュア天文学の知り合いがいる」や「アースガロンにAIを搭載する」等がV99の謎を解明して対話を始めるきっかけとなったのだが、そのヤスノブ隊員が用意したものを最後に活用したのはエミ隊員だった。
個人的にはアーくんがV99の技術を応用して作られた事を突き止めるのはヤスノブ隊員の役割にしてほしかったかな。

 

アーくんがV99から受け取った言葉は「仲間」「武器」「光の星」「新天地」「旅」「青い星」「危険」「恐怖」であった。
「光の星」と言う単語で『シン・ウルトラマン』を思い出したが何か関係があるのだろうか?

 

エミ隊員の父親の日記にはV99の存在について「地球の生物ではセミに近い」と言う記述がある。と言う事は地球とV99の関係は地球人やウルトラマンとバルタン星人の関係のIFと言う面もあるのかな。因みに『ブレーザー』の世界には半世紀前から地球侵略を進めていたセミ人間がいたりする。
新天地に向かって武器も持たずに旅をしていたV99が攻撃を受けて生物兵器を使うようになるのはバルタン星人の影響がある『ダイナ』の「さらばハネジロー」に登場したファビラス星人を思い出す。こちらも最後は相手の宇宙人と意思疎通が出来るハネジローの存在によって地球人とファビラス星人の全面戦争が回避されている。

 

エミ隊員の父親の日記にはV99関係の他に「稲森さん」「マスターカミオカンデ」と言った記述がある。こちらはもちろん『ガイア』が元ネタ。

 

「ドバシさん、貴方はやるべき事をやったんだと思います。だから、今度は私達にやるべき事をやらせてください」。
エミ隊員がドバシの行動を「やるべき事をやった」と評したのが意外だった。これによって「ドバシ=悪、SKaRD関係=善」ではなくて「時代が変わると正解も変わっていく」と言う話になった。
思えば『ブレーザー』は第1話から組織の中でゲント隊長やSKaRDがやるべき事をやっていく話だった。このエミ隊員の台詞で自分は『ブレーザー』のテーマが一つ分かった気がした。

 

ドバシの「好きにしなさい」は『シン・ゴジラ』を思い出す言葉であるが、『シン・ゴジラ』の牧悟郎が「私は好きにした。君らも好きにしろ」と遺したのに対してドバシは「自分は好きにした」とは言っていない。ひょっとしたら、この「好きにしなさい」は好きなように動く事が出来なかったドバシが後輩達に期待した言葉だったのかもしれない。
振り返ればドバシは色々と隠蔽工作をしていたが意外と自分自身の身を守ろうと言う発言は無かった気がする。悪意は無かったのだが硬直化した組織の中で長く生きてきたのでああいう行動しか出来ない人になってしまったのかな。

 

「今攻撃をしたらもうこの戦いは止められません!」。
この「血を吐き続ける悲しいマラソン」的なところは1999年に最終章6部作が発売された『平成セブン』を思い出す。『トリガー』『デッカー』の流れがあるので『ブレーザー』を『ガイア』と結び付けたくなるところがあるが実は『ブレーザー』は『平成セブン』っぽいところが結構ある。

 

「こちらが武器を向けていれば向こうも下ろす事はありません!」。
全ユニットをパージしてブレーザーとヴァラロンの戦いを止めるアースガロン。
そして遂に「未来」と言う言葉のやりとりによって地球とV99の全面戦争は回避されるのであった。
『トリガー』は『ティガ』だけでなく『ダイナ』の要素もあって『デッカー』は『ダイナ』だけでなく『ガイア』の要素もあったが今回の『ブレーザー』も『ガイア』だけでなく「最終決戦前に主人公とウルトラマンが分離する」「地球人と相手が言葉をやりとりして全面戦争を回避する」と言った『コスモス』の要素もあった。

 

テルアキ「アンリ、ヤスノブ、よく耐えてくれた! 後は思う存分やってくれ!」。
V99との和解が成立してこれで終わりと思ったので、ここからヴァラロンとの最終決戦が始まったのはちょっと驚いた。
出来ればここは『コスモス』の『THE FINAL BATTLE』のように決戦の後に和解を入れるか『マックス』の「つかみとれ! 未来」のようにV99がヴァラロンを止める事が出来なくなって戦うしかないと言う感じにしてほしかった。

 

ブレーザー』は「親と子」等で怪獣も人間と同じ命ある存在と言う話をしていて、アーくんや「侵略のオーロラ」等で機械も命あるものと同じように扱うとなっていたので、誰も疑問を抱かずに気持ち良くヴァラロンを倒して終わったのは見ていて違和感を覚えた。(ヴァラロンを気持ち良く倒せる存在にする為に冒頭でヴァラロンが人々に向けて光線を吐いて殺害する場面が入れられたのかな?)
地球外生命体でまだ簡単な言葉でのやりとりしか出来ないV99が何を考えているのか詳しく描く必要は無いと思う。V99がヴァラロンを回収しなかった事でV99を事件の被害者と見る事も出来るし実は色々と隠された悪意があったと見る事も出来るようになったのは色々と考察しがいがあって面白いのだが、主人公側は今は何を考えて行動しているのかもう少し分かりやすくしてほしかった。テルアキ副隊長辺りに一言二言何か言わせただけで大分変わっていただけに最終決戦突入と同時に「あれ、戦うの?」と言うノイズを感じる展開になってしまったのは勿体なくて残念だった。
全てを説明する必要は無いが物語には「説明しない事で視聴者が見た後で色々考える事が出来るもの」と「説明しない事で視聴者が見ている最中に引っかかって疑問に思ってしまうもの」があって今回のヴァラロンとの最終決戦は後者になってしまったのかなと思う。

 

V99との和解の後にヴァラロンとの最終決戦が入れられたのはドラマとは別に一つのエンターテイメントとして盛り上がるバトルを用意したかったのかなと感じた。
実際、V99との和解からの流れで見たら違和感を覚えるが、ドラマを無視してバトルだけを見るとヴァラロンとの最終決戦は道路を踏み潰しながら爆走するブレーザーとアースガロンのド迫力や息子と妻の応援を受けて遂に出される十字のブレーザー光線と実に盛り上がるものであった。
ウルトラシリーズはドラマとは別に一つのエンターテイメントとしてバトルを用意しているところがあるのだが、今回は『A』の「ベロクロンの復讐」や『ガイア』の「宇宙怪獣大進撃」のようにドラマがちょっと強すぎてエンターテイメントなバトルとは合わなかったところがある。

 

ブレーザーをジュンとサトコが自宅で応援しているが、ヴァラロンが東京に現れて一時間近く経過していて避難命令が出ていると思われるのに自宅にいるのはちょっとおかしかった。特に『ブレーザー』はリアリティラインが高めでこれまでの話でも避難所の場面があったので気になった。ジュンの「頑張れ、ブレーザー!」の声で指輪とブレスレットが光ってブレーザーが十字の光線を撃つ展開は二人が避難所にいても成立するので個人的には自宅ではなく避難所にいてほしかった。

 

今まで「槍」「剣」「鎧」とニュージェネ以前のウルトラマンではあまり使われなかった技を使っていたブレーザーが最後の最後にウルトラマンの原点である十字の光線を使った事でウルトラマンの定番と言える腕を十字に交差しての光線にありがたみが生まれた。
ブレーザー』は毎回の作りを怪獣中心にする事で最近はレギュラーヴィランが繰り出す駒のようになっていた怪獣の地位を回復したところがあるが、最後の大技として出した事で最近は色々なアイテムが出てきた事で印象が薄くなっていったウルトラマンの十字の光線の地位も回復したと言える。
こうして見ると『ブレーザー』はニュージェネレーションシリーズを否定している作品なのかなと思えるが実は今回の話で今まで極力外されていたインナースペースを最後の大技ブレーザー光線の場面に使っていて感動の場面にしている。
あえてこれまでとは違った設定や作風で始まったからこそ最後に王道の設定に戻った時にありがたみが増して感動が生まれると言う作りは『ネクサス』に近いところがある。『ネクサス』のメガフラシ戦で市街地戦の面白さが改めて分かったように自分は『ブレーザー』で色々な設定の面白さを改めて分かった。

 

ブレーザーの正体は結局不明のままだった。
出身地が謎のままだったウルトラマンは過去の作品にもいて特に気にならなかったが、初代マンもコスモスもエックスも「自分はこういう立場だ」くらいは言っていたので、ブレーザーもその辺りは軽くでも触れていても良かったかなと思うところはある。
ただ、ドバシとV99が「攻撃」と言う最悪のファースト・コンタクトのせいで血を吐き続ける悲しいマラソンのような展開になってしまったのに対してゲントとブレーザーは「守る」と言うファースト・コンタクトの結果、最終的に皆を守る事が出来たとなっているので、『ブレーザー』のドラマとテーマを考えたらブレーザーについてこれ以上説明する必要は無かったのかなと思ったりもする。